杭ノ瀬独学舎
廃校を拠点にした陶芸家
戦国期、長曽我部氏の侵攻により、阿波と土佐の国境が変わった。土佐にとって天然の良港、甲浦を領有することが戦略上有利だったのだろう。その結果、野根川上流域だけが阿波国、徳島県に留まってしまった。集落でいうと久尾、船津となり、かつてこの境に杭ノ瀬(くいのせ)小学校があった。校舎は今は使われなくなって久しいが、縁あって陶芸家の家族が移り住み、杭ノ瀬独学舎と名付けた。

陶芸家は東京出身で梅田純一という。権威とは縁のない生き方を志し、若かりし頃、徒歩で日本一周の旅に出た。宍喰を訪れその風景に魅せられた。1972.12.11のことだ。道すがら日和佐の山中、星越で一宿の世話になり、酒を酌み交わし、夢を語った相手が星野広幸さんだ。「家族を得て、この仕事で、やっていけるようになったら、ここへ戻る」、「その時は住む所を見つける」と男の約束をかわした。20年の歳月が流れ1993年、彼は琵琶湖畔の安曇川から宍喰へやって来た。星野さんから始まり、人から人への善意の輪がつながり、この山あいの廃校舎に落ち着くこととなった。以来、開発という言葉には縁がありそうにない野根川のせせらぎを枕に、ひたすら作陶に励む暮らしをしている。

さらに20年、2012年ウメさんに転機が訪れる。まず作品集「起・こぼれうめ」の出版。そして8月一杯、海陽町の阿波海南文化村海陽町立博物館で陶磁展を開催したのだ。それは直径30cmほどの陶磁器の皿100枚に絵を描いたあと並べ、一枚の絵に仕立て上げるという壮大な作品だ。「夜桜壁面組絵皿」。高さ3.5m、巾7.2mの巨大な壁画のような陶磁器の群れが博物館のホールに出現した。このときには親交のあるドナルド・キーン氏も海陽町に駆けつけ、展示会の成功とウメさんとの再会を祝った。


これに続き、翌年の2013.6.23–11.20は沖縄県平和祈念資料館で展示を催行した。2作目は「千羽鶴飛翔壁面組絵皿」だ。戦争が行われた沖縄の会場であるからこそ、平和をテーマとした作品が相応しい。
翌々年の2014.11.1–11、今度は広島市指定重要文化財旧日本銀行で「蝶飛翔壁面組絵皿」が披露された。今度のテーマは愛で一対の蝶が描かれている。平和の次は愛だ。
次は2018.2.6~12まで、金沢21世紀美術館で4m×26mの壁面にこの3面を展示することになっている。

それでもウメさんの一番有名な作品は別にある。毎年宍喰の子供達が小学校を卒業するとき、ウメさんが心を込めてプレゼントする陶器のメダルだ。真ん中には「野根川」と「梅」そして「百合の昼」の文字が刻まれている。「百合の昼」といえば、彼とキーン氏が寄贈し、宍喰図書館の入口に飾られている陶板がある。土佐二十三士をモチーフとして23本の姥百合を描き、キーン氏が俳句が添えている。

行く夏や 別れを惜しむ 百合の昼
それは杭之瀬独学舎の卒業証書なのだろう。そして子供達が鷲住王の血を引き継ぐことを示す証なのだ。

