「お待たせ致しました。ホットコーヒー2つでございます」

これから、ある店の話をしようと思う。
その店はカフェで、全国にチェーン店がある。
僕は、その店のことをしばらく忘れられずにいる。
店は現存するが、もはや僕の記憶にある形をしていない。
忘れられないのは、店そのものより、店のある時期の形態だ。
僕は、ある時期の輝きが店から失われたことを残念に思っている。
その輝きを思い出すたび、傷つきやすい青春の日々に似たものを感じる。

その店がオープンするという情報が街場に出回り始めた頃、多くの人は好意的な反応をもって迎えた。
初出店のチェーン店とあって、田舎とも都会ともつかぬこの街の都会たる根拠をわずかながら補強した。

この街にチェーン店が出店すること自体は珍しいことではない。
全国どこに行っても目に入るチェーン居酒屋の看板もいくつかある。
街はチェーン店をよしとしない地元贔屓なところがあるようで、いくつかの業種は撤退を余儀なくされたらしい。
街は残酷だ。最初からチェーン店を拒絶するのではなく、オープン直後は繁盛させる。
だがたいていは見切りを付けられて閑古鳥が鳴き始め、お眼鏡にかなう店があれば地元店を邪魔しない範囲でほそぼそと生き残ることを許される。

さて、くだんの店の話に戻ろう。
店のオープンは街場で話題になり、やはり多くの人が詰めかけた。
僕自身もオープンから数日後、平日の夕方にひとりで訪れた。
混み合った店内には不相応な4人掛けのテーブル席に通された。

僕は、コーヒーとサンドイッチを注文した。

テーブルにはメニューのほかに、「当店はオープン時から大変混み合っております。注文した品の提供にお時間を頂きます」などといったことが壁に断り書きとして貼られていた。

流行っているんだな。仕事の合間だったし、多少の待ち時間は仕事をしているうちに気にならないだろうと思っていた。

ここで話が飛ぶのだが、30分経った。
テーブルの上は、水が置かれているだけだ。
待たされているな。僕はふたつの可能性に思いを巡らせていた。
⑴オーダーが通っていない
⑵あまりの混雑に提供が遅れている

さてどうしたものか。
ふと真横に座るテーブルを見ると、女子高生2人が座っていた。
彼女たちのテーブルにもまだ水が置かれているだけだ。2人は僕よりも先に店に入っていたので、ここで⑴の可能性はほぼ消えた。すなわち、⑵あまりの混雑に提供が遅れている、のだろうと考え、黙って待つことにした。

そしてさらに30分。入店から1時間が経過した。
テーブルにはまだ水だけ。僕はこの状況にニヤつく顔を隠そうともしないまま、横の女子高生2人に声を掛けた。

「ねぇちょっといい?」
「はい」
「いやさ、たぶん僕よりも2人は先に入ってたよね?」
「そうですね」
「結構待ってる感じ?」
「そうですね笑もう1時間以上経ちますね笑笑」
「え、まじで?笑ちなみに何頼んだの?」
「コーヒーと唐揚げとデザートですね」
「あ、そっか、なるほどね笑そういうことね。ごめんね、突然話しかけて」
「いやいいですよ」

これはとんでもないことが店内、厨房で起こっているに違いない。こんなことはなかなか経験できないだろう。おもしれえ、これはなんとしても最後まで見届けねば。

僕はいつしかコーヒーなんてどうでもよくなり、今置かれている状況を楽しみ始めていた。

それから20分ほどで、僕のテーブルにコーヒーが運ばれてきた。入店からおよそ1時間20分。

ようやく来たか。コーヒーに口をつけようとした瞬間、「あれ、このコーヒーなんで隣のテーブルよりも早く来たんだろう」と思った。
カップを戻し、僕はベルを鳴らして店員を呼んだ。

「このコーヒー、オーダーは間違ってないんですが、隣のテーブルの方が先にコーヒーを注文されていたかと思うのですが…大丈夫でしょうか」
「すぐに確認して参ります」
1分後
「大変申し訳ありません。お待たせ致しました。ホットコーヒー2つでございます」

隣のテーブルに座る女子高生はようやくコーヒーにありつき「云って下さってありがとうございます」と感謝した。
一件落着と思いきや、コーヒーの注文を念押しすれば1分後に運ばれてくるということは、これまでの1時間半ほどはなんだったんだろう。
僕はまたニヤつき始めた。

その後、彼女たちのテーブルに唐揚げが届き、こちらにもサンドイッチが届いた。なぜ1時間半待ったのかの理由は謎に包まれたままだが、目の前にある料理は悪くなかった。

すると女子高生2人がなにやら、届いた唐揚げを前にざわついている。
「ねぇこれどうやって食べるの?」
「そのままで食べるってことじゃないの?」
「いやそのままってさ笑これめっちゃ熱いよ絶対」
「だよねー笑」

彼女たちはベルを鳴らし店員に「これなにかお箸とかそういうのありますか」と云っていた。どうやら唐揚げに箸やフォークはおろか、爪楊枝すらなかったようだ。とことんおもしれえ。

僕はその時、完全に悪い目をしていた。

数週間後、僕はまたしても店を訪れた。
我ながら悪趣味だなと思わずにはいられなかったが、あの店の混乱ぶりが気になってしまったのだ。
なにせ行きつけの酒場で「最近できたあそこ行ったっすか?笑」と話を振り、何度となく店のネタで盛り上がらせてもらった。
あの店に行けば何かあるはず。新しいネタを仕入れに行ったのだ。

だがその見込みは外れた。

ニヤつく顔でコーヒー1杯だけを注文し待っていると、なんと数分後には提供されたからだ。

それからも何度か店を訪れたが、もう「あの」店の面影はかけらもなかった。僕はとても残念に思った。こんなにも普通の店になってしまったなんて。
コーヒーの提供に1時間20分かかる店。遊園地のアトラクションを待ち時間なしで乗り放題になって、誰が幸せに思うんだろう。

僕は親しい人たちに何度かあの店について話し、そしていかにあの店の豊かさが失われたかについて聞かせたが、首をかしげ不審者を見るような目線を投げつけられるだけだった。

あの店はもう普通になった。煙草部屋があるくらいしか、あの店に行く理由もなくなった。それどころか、僕はあの店の街から引っ越したのだ。しばらく行くこともないのだろう。

僕はある店のことを思い出す。
その店はカフェで、全国にチェーン店がある。
僕は、その店のことをしばらく忘れられずにいる。
店は現存するが、もはや僕の記憶にある形をしていない。
忘れられないのは、店そのものより、店のある時期の形態だ。
僕は、ある時期の輝きが店から失われたことを残念に思っている。
その輝きを思い出すたび、傷つきやすい青春の日々に似たものを感じる。

2022/09/07

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Ryunosuke Honda
あたりまえ手帳

「道」のつく日本唯一の地域に移住。蓴菜、オクラ甲乙付けがたし。 対面でお話する時、ポテチ成分談義の話題がお好き。