「その言葉LINE語につき、」
本をたくさん読む人の言葉は綺麗だ、という。
だが、そうとも言い切れないように思う。特に言葉を口にする時。
書き言葉から話し言葉への溝は深いとされる。スマホ、PC、紙いずれにしても無機質の物体に向かって何かを書きつける時、多かれ少なかれ内向的にならざるを得ない。対して、話し言葉はその内向性を抑えつけて、外へと発射されなければならない。書くこと、話すことの間にはそれだけ深い溝がある。それゆえに私たちは噛み、淀み、詰まり、どもる、のだ。
LINEをはじめとするチャットは、話すようにして書く(その逆も又然り)という、思えば複雑なメディアだ。
もちろん、メールや手紙も話すようにして書くメディアであったが、会話のテンポはチャットによって最高潮に達している。
チャットによって、話すことと書くことの同期は進んだ。
それはまるで、運転席で最初はバラバラだった、足元のアクセル/ブレーキと、手元のハンドルの動きがかみ合ってきた異なる2つリズムを、同じ瞬間、単一の動きとして管理するように。
大げさに言えば、私たちは日々、LINEの中で言語観を更新し続けている。
OKは、「おけ」「桶」「おっけ」「おけー」「おk」
了解は、「りょーかい」「りょ」「りょっす」「りょりょ」「了貝」
こんな風にバリエーションを増やしながら新語の増殖現場に立ち会っているのだ。(”了貝”は私が働く貝料理屋のLINE内でよく用いられている)
スタンプは言葉を使わずにイメージでのやり取りを可能にしている。
私はスタンプの手軽さが苦手であまり使うことがない。(1年に数回くらいだといえば、その少なさをご想像頂けるかもしれない)
スタンプを使わない代わりに、あらゆる言語領域からの越境を恣意的に行いながら、言葉がワンパタンにならないように注意を払っている。
古語もどきの言葉をあえて盛り込んでみたり、方言を織り交ぜたりして遊んでいる。

私は神戸に20年以上住んでいながら、別の土地に行くとすぐそちらの言葉に訛ってしまう似非神戸人だ。
そんな私が話し言葉ではどう間違っても使わないような、大阪弁、中でも商人が用いるような「でっしゃろか」とか「どないでっか」をLINEの会話では好んで使っている。
あるいは岐阜や広島の方言「やけ」「やき」を語尾に付けるたり、あるいは田舎の老人言葉としての「~をば」も使う。
この豊饒な言語空間に身を置くのが楽しくて、新しい言葉を作るのが楽しくて、ついついLINEをしているところがあったりするのだ。
私が最も好きな「堕落したLINE語」を最後に1つご紹介しよう。
この言葉はまさにLINE語の口語性と文語性を併せ持ったハイブリッドな新語であり略語だ。
「おなしゃす」
お願いします、の意だ。
お願いします、を音声として取り出したときに、nの母音eがgaに引きずられて、naに変化している。
黙っていても生み出されないであろう言葉だ。
コンビニのマニュアル語「ありがとうございました」が何度も発音するうちに「あざした」に限りなく近づいていく現象と同緯度の話だ。
辞書に載らない言葉、間違っているかもしれないけど、言語感覚が揺さぶられる緑色の空間で大切なこと、どうでもいいこと、めんどうなことをやり過ごしながら言葉の往来を見つめる、あそこが好きなのだ、やっぱり。
2017/7/10
