「リベラルなファッション」

もう午前4時を過ぎようかという頃。
隣の部屋より漏れくるエアコンの冷気に対して、私は半袖半パン、身に付けている服は全てユニクロだ。

通気性に優れたショッキングピンクの半袖、ズボンはキースへリングの意匠をあしらった半パン、ユニクロで全て集めてきた。
部屋着とは云え、自分が納得するものを身につけたい。

そんな奇をてらったようなアバンギャルドな身形であるように見えるかもしれないが、ファッションへの思想はかなり「保守的」な方だと、自分で思っている。
ここで「保守的」という用語を持ち出すことで、不必要な論争の種を持ち込んでしまっているわけだが、「保守派」「革新派」のファッションは比較的容易に想像できるとしても、「リベラル」なファッションってあるのだろうか、とこれを書きながらちょっと思った。

日本の政治状況においては、旧来の保守と革新/保守とリベラルの関係、両者の主張が逆転しているとされる。
保守と呼ばれる人が旧来意味されていた革新に近い主張を行なっている、ことが多い。モリカケ問題ではそれがまさに象徴的だった。

じゃあきっとファッションにも(政治ほど露骨には出てこないかもしれないけど)思想はあるはずで、その思想はかなりねじれているのではないか、と。


たとえば保守的なファッションと聞いてイメージされる、その時代の流行にがっつり乗ったコーデ/メイクは、その流れに多くの人が乗るほどに没個性化していき、保守化しているとみなされるだろう。
だが一方で、ファッションの世界では自明化している事実なのだろうが、流行とはだいたい、その数年前のパリ/ミラノ/ロンドン/ニューヨークのコレクションで提示された「前衛的」で「野心的」なフォームが元ネタとなって大衆へと消費されていく側面が少なからずある。

ランウェイの上に注がれる特殊なライティングとミクロ単位のメイクの整合性が取れることで初めて成立する奇跡的なコーデを、普段使いへとダウンサイズすることによって既製服となる。

そのような意味でファッションもまた、保守と革新のごちゃ混ぜになった分野である。

ではリベラルなファッションとはなんなのか。
私はこれをあえて、「実用的ファッション」だと思い切って呼んでみたい。

たとえば、加齢に伴って頭髪が薄くなってきた際に帽子を被り始めることで、帽子選びに凝ったりするような類のファッションはリベラルと呼んでみたくなる。いやむしろそう呼んであげたくなる。
リベラルとは痩せ我慢であるような気がどうやらするのだ。
ネガティブな要素を隠す=補うためのファッション、理想論としてのファッションをリベラルなファッションと呼ぼう。
わたしにとっての帽子は、同じ床屋で短めに髪を切ってもらうことで帽子を被ることができる、床屋と帽子の関係性が一体となっている。

そして、「私はフェミニストである」と書かれたTシャツを着ることがリベラルなファッションではない、ということをここでは声を大にして云わせて頂きたい。
何はともあれ、私は自分のファッションへの閉鎖的な思想と、掛ける金額の少なさから保守的だとされても仕方はないのだが。

2017/8/15

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