再考:路上に唾を吐く

ノマディック痰ハッカーからの手紙

唾を吐くこと、
いけないことだ。

「若者よ洗面所を離れ、街にて唾を吐こう」
と推奨しようものなら、反動分子としての対価を償わされるに違いない、
何らかの方法によって。

さてこの当たり前とも云って差し支えない命題を前にして、それでもなお唾を吐かずには居られない、喫煙者・風邪持ちの諸氏におかれては、多少の罪悪感とともに行為に及ぶことかと思う。

また、唾を吐くことは、行為者の態度、感情を示す場面においても、用いられ得る。

相手の足元に唾を引っ掛け挑発。

よく晴れた日曜の朝に吐く唾と、
金曜日の夜、都会の雑踏の側溝に暗澹とした思いとともに吐き出す唾
とを比較した時、行為者が行為に含ませる内容は明らかに異なる。

なぜ、あなたはこれ以上の平安など滅多に訪れないだろうというような日曜の朝に、痰を吐かずにはいられなかったのか。

恐らく、このように問うことが出来る。
ましてや、目の前を小さな子どもが歩いておりじっと見つめられた状況下で、唾を吐く、となると道義的責任にも及んでいくだろう。


少しだけ、視点を変えてみる。

三宮、大阪、レイキャビーク、カイロ、イスタンブールの街を歩く私たちは、都市を彷徨う漂流者の一人だ。

どこに流されていくのかをただ見ていくしかなく、もし流されていくのに耐えられないのならそれに抗い、より孤独であることを自らに課さなければならないだろう。

どうして人が一様に前を向いて進んでいたのか、僕は思い出せずにいる。

「都市を彷徨う」

クールでスタイリッシュで、ハードボイルドな響きがする。

だが実際のところ、家の外を歩くことは急を要する局面において、スムーズに対処できなければ、漂流者は突如として、都市の落伍者となる。

例えば、トイレ。
トイレの場所を正確に把握していることは、これから本格化する冬において、非常に重要だ。
(筆者はいつか、迷宮都市の中におけるトイレ、ゴミ箱の場所を巡る物語を書きたいと思い続けている)
トイレに行きたいという不自然な素振りを見せずに、同行者をトイレのある方向へ、可能な限り最短距離で移動し、その間において歩行スピードを一定に保つ。
そしてトイレの前に来た時に、
「あ。こんなとこにトイレが。ちょうどよかった」
と呟きながら、行ってくるね、と付け足し、トイレのドアの向こう側へ颯爽と消える。

上級者ともなると、同行者にむしろ、トイレの前に差し掛かった際に、
「トイレ行ってきたかったんだ、いいかな?」
と云わせ、自分は、
「まぁ、ほなついでに行っとこか」
と涼しげな表情を作りながら、扉の向こうへ向けゆっくり歩いていく。

これらのことには、やはりその街を知り尽くした熟練者でなければ真似はできない。
そのような文脈において、007に登場するジェームズボンドを観ていてすごいなと感心するのは、彼の行動範囲の広さと応用力の高さだ。
なんといっても彼の場合、トイレを探し回る以上に複雑な行為、例えばグランドバザールの屋上をバイクで走行しながら、敵と追いかけっこするとか、そんなことだから、彼を「都市の熟練した漂流者」の一人として、素直に尊敬する。

他にも携帯電話の充電スポット・Wi-Fiスポットなどもノマドたちには必須の知識だ。
だれが、Macを両腕に抱え、
「スタバってここからだと、どこが一番近いですかねぇ?」
などと云いながら、インフォメーションセンターの立ち尽くしている、
そんな人の姿を見たいというのか。


つまり、唾を喉に溜めこんだ私たちもまた、適切な吐き捨て場を探し求めて夜の街を歩き続けるのだ、とも換言できる。

”ノマディック痰ハッカー”そんな言葉聞いたことない、くだらねぇよと、のたまう貴兄へ。

このような言葉が発明されたことが、清潔さを是とする都市計画の観点に基づく街から、痰が、喫煙者が、そして病人が、少しずつ消え失せようとしているのだ、という1つの時代のコーナーを曲がろうとしている、何よりの証左といえるのではないでしょうか?

あたりまえ、を疑え。

2016/12/3

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