「負け戦の作法」

大学に通い4年、来年の3月に予定どおり卒業すれば、「中高大一貫10年」の枠組みから外れることになる。

中高大が同じ敷地内にあるため、この10年の間に1500回学校に来ていたとすれば、私は3000回、同じ坂を登ったり下りたりしていたことになる。

その3000通りの道にはそれぞれに固有の思いがあるのだろうが、印象深かった1つを選べ、と云われると、高校2年の終わりに生徒会長選挙に落選した時を挙げるだろう。でも不思議とその帰り道は、悔し涙を流したりとか、天を恨んだりしなかった。むしろ清々しい気持ちだった。
そんな帰り道の気分を思い出すきっかけが最近あった。


部活の練習が一段落し、運動後のクールダウンのためのストレッチを部室前でしていると、校内放送が流れ、1年下の後輩に生徒会長選挙で負けたことを知った。

その瞬間、あるいは負けた時のことを充分にシミュレーションしていた瞬間の私は、まずこの結果を前向きに受け止めようと決めていた。
くよくよして弱みを周りに見せると、あっという間に1000人近い全校生徒からの同情を向けられ、残りの高校生活を「敗者」の烙印を押されたまま過ごすしかなくなる、と知っていたからだ。

その放送の後、寄ってくる同じ部活の同級生や後輩たち。
その時、何を話したのか正確には覚えていないが、これからも何らかの形で「生徒会」に関わって、部活との両立を引き続き続けたいと思う、といった内容のことを話したように記憶している。

1000人に選挙で落とされた経験を持つ人はごく限られているかもしれないが、愛する人1人に思いが届かないことはそれよりはたくさんの人が経験しているのであって、両者はそれほど大差はない。
負け戦をどう受け止めるかは、とても難しい問題なのだ。

後輩に選挙で負け、恥をかいても尚、生徒会に入って後輩の下で働きたいと強く云うことしか、その時の私にはできなかった。

敗者になりたくない、周囲からの同情だけは絶対に受けたくない、その強い気持ちがあったから、選挙で敗れた後輩の下で働くことに葛藤など感じようがなかった。

結局、私は生徒会の中で書記を1年間務め、どこか居心地の悪さを感じながらも、前向きに1000人の「民意」を受け止めて、大学に入り高校のことはすっかり忘れたと思っていた。


忘れたはずの記憶の亡霊が目の前に現れたのはつい最近のことだった。

しかもそれは意外にも、ゼミで提出する卒論のテーマを決めるために、集中的に過去の文献を読んでいた時に現れたのだった。


戦後出版された日本がどういった特質をもった人間たちなのかを文化論、組織論、家族社会学などの側面から著述した「日本論」とよばれる文献群をもとに、ゼミでは議論を重ねてきた。

その中で、敗戦後間もないころの日本に生まれた「日本論」にはある特徴が見られる、ことを学んだ。
「日本がなぜアメリカとの戦争に負けたのか」そして「なぜ日本は軍国主義とも形容される態度へと邁進していったのか」そうした反省を促すような言説が、50年代ごろの日本論を特徴づける。
日本は近代的なシステムを整備してこずに部分的なつまみ食いばかりをしていたために、民主主義の原理が根付いていなかったのではないか、と否定的に日本を見る風潮が少なからずあった。

だが、そこからの日本はご存知の通り、朝鮮戦争の特需景気、そしてその後の戦後復興のさなかに行われた東京五輪、高度経済成長を通して、いつの間にか”Japan as NO.1”とまで呼ばれるほどにまでの繁栄を短期間で手にしたのである。

一度は反省のムードが漂った日本論も、時代の空気に引っ張られるように、日本の「良さ」に焦点を当てたものが中心となっていった。

そして2011年。
福島原発事故を巡る政府の対応のまずさが明るみに出た、そのことが1つのきっかけとなり「実は1945年の敗戦で得た反省や教訓を日本は未だ充分に受け止めきれていないのではないか」とする議論が盛んになった。


こうした議論を踏まえて書かれた本に白井聡『永続敗戦論』という強烈なタイトルの1冊があるのだが、その本のことを考えながら卒論について考えていた時に、どうも敗戦の経験をうやむやに流したとされる日本と自分が重なり合って見えたのだ。

日本は戦争に負けた。完膚なきまでにボコられた。
そして反省する構えを見せた。だが経済成長という「お祭り」が到来して、消費社会への道を恐ろしい速さで駆け上がっていった日本。
敗戦を棚上げにすることでここまで経済成長を続けてこれたが、気付けば問題は山積みで、安全保障、改憲論争、莫大な負債...
これらの問題にどう態度をとるかの決定の期限が差し迫ってきている。

私もそうかもしれない。
会長選挙に落選した私は、自分に何が足りなかったのかを正面から考えてどん底まで落ちようとは決してしなかった。
前向きに結果を受け止めて後輩の下で働こうと決めたのは口実なのであって、どん底まで落ちきることから逃げただけなのだ、と今ならよく分かる。

それは問題の棚上げに過ぎなかったのだ、ということも今ならよく分かる。
1000人は私の何にNoと云ったのか。
ノリがよくなかった、真面目すぎた、学校を善くするための手法を提示するという綺麗事が鬱陶しかった、もしくは人をまとめ上げるような魅力がなかったという根源的な資質の問題、様々に考えられる。

大学の間、集団に属すことを注意深く避けながら好き勝手に振舞ってきたが、今となってあれこれと考えさせられる。
今、責任を負っているいくつかのコミュニティ、そして何よりも自分に対しての責任、を本や人との関係から考えるようになったのだとすれば、「負け戦をどう処理するか」のお手本は過去の歴史にヒントがあるのかもしれない。
そしてそのケリの付け方は、実は意外なほどしょうもないことだったりするような予感がしている。

2017/7/18

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