「鉄塔の先端見てるだけでビビり倒す自分も愛さなあかん」
「ネタくさいタイトル、初っ端から付けよってェ、怪しいもんやんのォ...」
ちっちゃい頃から、ちょっと変わった高所恐怖症だったんです。
というのも、みなさんが頭に浮かべてらっしゃる「高所恐怖症」は、高いとこに登るのがダメとか、高いとこから下を覗くのがダメとか、実際に高いところにいるから怖がってる人をイメージされてると思うんです。
でも私の場合、高いとこにいない時の方が怖いんですね。
「ほれ見てみィ、まァた、ブログに書けるようなァ気ィてらったこと書きよってェ、ほォんまどうしようもないやっちゃなァ」
と云われましても、これ、私の偽らざる感覚なんですよ。
高いとこにいるときより、高いとこにいない方が怖いんです。
もっと正確に云えば、「高いとこにおるのを想像している時が一番怖い」んです。

「はァ~?何抜かしとるんじゃ、アホンダラァ!じゃあおまえェ、低地で普通に街歩いとる時、ずっとビビッとるんかァ?云うてみィ!」
ま、実際のところ、そうじゃないんです。
その想像力の「スイッチ」みたいなもんがどうもあるみたいなんです。
普通に歩いている時は怖くもなんともないんですが、鉄塔の先端とかを見ながらしばらく考え事を始めたら、その「風がビュービュー吹いてるであろう高い先端の点」みたいな部分に自分が立ってることを想像してしまうんです。
ほう、そうでっかァ~、よしゃ、ほ、ほんならな、ジブンはそういうとこに立っとったァゆう経験でもォあるんかえ?えェ!?
これがね最大の謎なんですけどね、そうゆう経験はないんですよ、全く。
これは恐らく想像力の問題なんだと思うんです。
私はたまたまそういう方向に――つまり高いとこに立ってる自分が置かれてるリアルな感覚やイメージを頭の中に描いてしまうような――想像力を働かしてしまうだけなんじゃないか、と。
別に私ばっかりが変やとかそういうことを云おうとしてるんじゃありません。
人はみなだいたいどこかが破綻してて、その綻びの辻褄をうまいこと合わせて生きてるんやないでしょうか。
そして今も必死に、頭の中にある、可愛らしく思えてくるほどの緊張という「書き手としての綻び=乱れ」を隠そうと、ぜんぜん関係のないことをはじめから書こうとしとったわけです。
最悪の自己完結をこれからさしてもらいますけど、
まぁそういう可愛らしいくらいみんなとおんなじような経験を、「陳腐や」と云わんと経験するんはええんちゃうかなって。そして陳腐じゃない、ちょっと自分の変なとこも愛したらなあかんねやで、っていうことちゃうかな、と。
生まれた時はみんなとおんなじように「生まれた」瞬間やのに「死ぬ」ほど泣いて、受験の時吐きそうなくらい緊張して、古風な便箋を買ってきて好きな人に何やら手紙を書こうとして破って捨てたり、意味わからんカタカナ言葉ばっかりの並んだフランス料理屋のメニュー見ながらタイトな服装のせいで息詰まりそうで酸欠なって一番上のメニューばっかり指さして注文してもうたり、税金でいくら取られていったんかばっかり気になりだしたり、友達とも疎遠になってきて懐かしい面々と集まったか思たら若いころの話から病気やら身体の悪いとこについての話が一番盛り上がったり、飲み屋で若い奴に一丁前におごってみせて「ありがとうございます!!!」って何回も云わしたりとか、死ぬときはやっぱり人並みにビビり倒しながら見苦しく逝って残された人に無理くり「安らかにいかはった」と云わしたりとか。
あぁ人生1回だけなんやし、鉄塔の上に実際に立つより前から、その下から見上げてるだけで、大事な玉がえらい縮むくらいビビる自分も愛しながら、時々自信もって生きていかなあかんねやで。やっぱ。
「ホレ見てみてみィ、もう文章ワヤクチャなっとるやないかァ!わしの喋り方までマネしよってェ、ほんまドタマ、カチ割ってド突きまわしたろかァ!!まぁでも最後云ってたんわ、その通りや。自信持たなあかんときもあんねんでェ。ま、せいぜい気張りやァ」
2017/7/28
