人の役に立ちたいと思ったら

こんなことないですか?

気持ちのいい朝、真っ青な空をみていると、
世界ってきれいだなぁ、と嬉しくなって、
力が湧き上がってきて、

人生の中でなにかをなしたい
何か世界の役に立ちたい

そんな思いが身体を満たす。

盛り上がる気持ちにのって
自分に何ができるか思いを巡らせる。

自分はどんなことで役立てる能力を持っているのだろう
自分がどんなことが得意なんだろう

少し考えてみたけれども、よくわからない
もう少し考えてみるけど、うーん、やはりわからない

自分は自信を持って言えるほどの特技もないよな
人一倍役に立てると言うほどの能力があるわけでもないし

さっきまでの、役に立ちたい!という気持ちは急に色あせてくる

自分が役に立つなんておこがましいのかもしれない
人の役に立てるのはまだまだ先のこと
今はそんなこと考えていないで自分をしっかり鍛えなくちゃ

僕自身、これまで随分長いことこのルーチンを繰り返してきた気がします。

が、少し前にやっと気がつきました。

みんなだれでも、どんなに若くても、役に立てること、世の中をよく変えるためにできることはたくさんあります。だれにでも、いくらでも、です。

上の思考の流れの中での脱線ポイントは、自分の能力や特技のようなものに思いを向けてしまう部分です。実は、自分の能力や特技をいくら深く吟味しても、どのような形で人の役に立てるかはわからないです。

まず、人の役に立てるかどうか、どんな形で人の役に立てるかは、人が決めることであって、自分が決めることではありません。重要なのは相手のニーズであって、こちら側の希望ではないので。

そして、他の人のニーズについて我々は結構わかっていません。

さらにややこしいのは、自分の能力や特技についても我々はよくわかっていません。概して、何か(たとえば、段取りをしっかり組むとか)が得意な人は、そのことをいとも簡単にやってしまい、自分では大したことをやっていると思っていなかったりします。「得意」とはそうしたものです。したがって、自分で考えても、本当に得意なことが意識されないことは往々にしてあります。

結局、自分がどのように人の役に立てるかは、自分で考えてもわかりません。それどころか、考えてもわからない理由を誤解してしまい、自分は役に立てない、と諦めてしまうことにつながるかもしれません。

それよりも、ひとつでも人を助けることをやってみるといいかも。何も大層なことやる必要はなくて、自分に手伝えること、手助けできることを引き受けるだけでいいと思います。特に、自分には大したことではないと思えることは、自分が得意なことである可能性が高いので、積極的に引き受けてみてもいいかもしれません。

そんな風にしていくと、自然と周りの人が自分のことを「◯◯のプロ」とか「✕✕の達人」とか呼ぶようになってきたりします。そうして初めて、自分はこういうところに役に立てるんだとわかって驚く、みたいなことがおこったりします。

ということで、なにか世のためになることがしたい!と思ったら、とりあえず身近な手助けを繰り返すところから始めましょう!

自分に能力があるか、その資格があるか、などと考えて、何もしなくなってしまうのは、自分にとっても、世の中にとっても残念。考えすぎず、どんどんやりましょう!