「あまりにも短い夏2021」

東京が五輪開会式に沸く中、僕たちは飲むのに忙しかった。何せ、旅先にいた。燃え盛る炉端でサウナ状態になった3軒目の店内のテレビを観ながらようやっと同行者と「あぁ、オリンピック(笑)ね。MISIA歌ってんな、おい(笑)国歌がJ-POPになってんぞ(爆笑)」と話し、左手に生ビール、右手は和風スペアリブと呼ぶにふさわしい「新子焼き」にベアーハンドでかぶりつくのに忙しかったのだ。すなわち、開会式に目線を送るほど僕らは暇じゃなかった。7軒の酒場行脚を終えた翌朝、「ブラジル」という昔ながらの喫茶店でLARKをふかしながらTwitterを覗いてみると、開会式が「日本の文化的貧しさを露わにした」だの「終わりの始まり」だの「とりあえずAKBとかジャニーズが出てこなくて安堵」だのなんだの、二日酔いの腐り切った頭を抱えて、再び爆笑した。開会式の批判にしろ礼賛にしろ、僕にとっては本当にどうでもよかったのだ。開会式を見ずとも、開会式のtweetを眺めてる方がはるかに面白いに決まってるし、もっと云えば酒場で起きるめくるめく登場人物たちの方が最高なのだ。

外は完全に夏だ。あまりにも短い。それは詩的にも、そして言葉通りの「短さ」、両方の意味を包含している。あまりにも短い夏。

今年はオリパラで、反対にしろ賛成にしろ、とにかくみんな盛り上がるに違いない。まちは浮き足立つに決まっている。僕らはコロナ禍でマスクをし汗をダラダラ流しながら目抜き通りをハイエナのように彷徨う。そしてそれは去年に続き2年目の経験だ。酒場前の喫煙所で顎マスクで「お兄さんここのメシ屋、何食ってうまかったすか?」と聞く僕らの横を、元気な男の子がスケボで通り過ぎたり、ノースリーブを着た女の子たちが手を繋いで歩いていく、そんな奇妙な体験は控えめに表現して「豊か」だ。僕らはオリパラで覆われて見えなくなっている日常の豊かな経験に自覚的であるべきだ。オリパラという包装紙を破いて、コロナ禍におけるストリートという中身を見ずにいられようか。

外はぐんぐん気温が上がっているだろう。「ブラジル」の地下1階の店内には煙草の匂いが染み付いている。何せトイレの大便室のトレペホルダーの横に灰皿があるのだ。店内に吊るされた照明は、氷のような形をしていて、過ごす者にたまらない涼感を与える。全てが美しい。

混乱を楽しむのだ、立ち入り禁止区域の廃墟を探検するならず者たちのように。夏は放っておくと知らぬ間に姿を消しているのだから。

2021/07/24

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Ryunosuke Honda
おさけmediated夜話

「道」のつく日本唯一の地域に移住。蓴菜、オクラ甲乙付けがたし。 対面でお話する時、ポテチ成分談義の話題がお好き。