「うそじゃない、移動のことならなんでも好きだ」
移動が好きだ。当て所ない移動、定められた移動、四季それぞれの移動、心的な移動など、とにかく移動に関することならなんでも好きだ。

「移動に関すること」ならなんでも選り好みせず好んで食べるが、一番好きな移動の形態は、1人で行く夏の鈍行列車だ。
私は、頭も感覚も鋭くない、theでも冠してあげたいほどの「ニブい男」なので、理解できることの容量が鈴虫の脳味噌くらい小さい。そんな私にとって、飛行機はおろか、特急列車のスピード感など理解できるはずもない。
それ相応の時間と労力を掛けなければ、とてもじゃないが移動の実感は得られない。だから、鈍行列車が好きだ。夏だと海や山が映えるので、尚更好きだ。
これ以上ないほどノロノロと走る列車に乗り、なぜこんなパッとしない駅にいちいち停車しなければならないのだろうか、と思いながら本や音楽をチビチビやる。
乗り継ぎを誤ると、しばらくの間次の便を待たなければならない、でもその間も移動の最中の時間だ。そういう旅に付き物のトラブルも楽しい。日常の中での乗り継ぎミスすらも、旅行を思い出すからちょっと楽しかったりするのだ。
独りだと寂しくないのか、実のところ寂しいのに虚勢を張っているだけではないのか、その声はもっともである。
実のところ私の1番好きな移動形態は寂しい。でも、その寂しさがあるとき、いい言葉が浮かんでくるように思うし、まとまった時間を考え事に費やすことはできそうでなかなかできないため、電車に乗る前の私と比較すると、降りた時の私はちょっとだけスッキリしている。
梨木香歩さんが雑誌TRANSITに移動に関する文章を寄せていた。梨木さんは移動の中でもトランジット、すなわち乗り継ぎの時間の不安と期待が入り混じった感情を書いておられたのだが、その文章に触発されるところあり、こんな文章になった。
さっきまでバーカウンターに座っていた人間が今は、盆踊りを眺めながらこれを書いていた。
バーカウンターから祭りを眺める特等席までの間も移動があった。ついさっきの移動だったが、それも楽しかったりするのだ。そう、わたしは移動にファナティックなのだ。
2017/8/26
