「自分を取り戻す旅先にて」

Ryunosuke Honda
おさけmediated夜話
5 min readJun 20, 2020

緊急事態宣言が解け、近所の飲み屋へ繰り出す日が戻ってきた5月末の日のことだ。
飲み仲間とのなじみの店行脚を続けるべく、中華料理屋へ行った。その店は街中華という名にふさわしい、ビールを勝手に冷蔵庫から取っていくスタイルの、いわゆる気取らず普段使いのできる、数少ない中華料理屋だ。

飲み仲間には、自宅蟄居中の馬鹿話をひと通り披露し、一息ついた時、うっすら感じていた心身の異変が身体の表面に浮き出てくるのが分かった。
脂汗、息切れ、動悸、頭痛、全身を締め付けられるような感覚。
店は2軒目でこそあったが、度数の低いお酒を2杯程度とビールに口を付けたあたりだ。お酒が原因でないことは明らかだった。

さかのぼること数時間前、ぼくは久々に中高生時代にカラオケ屋で歌っていたRADWIMPSやBUMP OF CHICKENなどをイヤフォーンから流していた。あまりの懐かしさに、昼食をとる店内にいながら大声で歌い出したい衝動に襲われた。昼食は値段の割に小さくシンプルなオムライスだったこともあったのか、空腹に腹をよじる。今すぐにカラオケボックスに駆け込みたい気分だったが、5月末時点で道内のカラオケ屋の営業は認められていなかった。
ぼくは、その得体の知れない、病的なまでの衝動を、数時間後に会う予定の飲み仲間の前で見せる訳にはいかなかったため、なじみの店に飛び込み、度数の低いレモン酎ハイなどをゆっくり流し込んだ。そして飲み仲間との約束の時間を迎えた。

中華料理屋の赤いテーブルには見るからにうまそうな料理が次々運ばれ、一方ぼくの腹には何も入ってないはずなのに食欲が全く湧いてこず、むしろ身体が思うように動かない。
飲み仲間には「いやーちょっときょうマジで頭おかしくなったっすわ(笑)なんか身体がすんごい締め付けられるの、この場で発狂しちゃうかもっすよ(笑)どんな風になっても次の店まで引きずってでも連れてってくださいよ」と軽口を叩いた後、飲み仲間に自宅へ運び込まれるまでの記憶がほとんどない。

飲み仲間によれば、記憶のないその間にぼくは天を仰いだり、トイレで肩をふるわせて泣き出したり、苦しい、怖いなどとぶつぶつ呟いていたそうだ。初めての経験に驚きも大きかったが、何よりショックだったのが酒場でそうした体験をしたことだ。

酒場は、ぼくがあらゆる場の中で最も好きで(僅差で本屋にすら勝る)、仕事に邪魔されたり日常の妙なしがらみを切断しようと、努力し、守ってきた。それだけにショックだったのだ。あっけなく、酒場が、しかも自分の手でもって損なわれてしまったからだ。
酔っ払って記憶をなくしても、酒場は決して損なわれない。決してすり減らないのだ。

奇しくも、自粛期間の解けた直後、ぼくは再び自宅待機の生活を始めた。日中の仕事はなんとかこなし、あとはひたすら家で過ごす日々をしばらく続けてきた。最近はバーミヤンに、あの日の飲み仲間と飲み直しをしに行ったり、今は休暇を使って道内を旅行している。今まで経験したことのない数カ月がかりの自宅生活でたまった貯金を、ミシュラン掲載の寿司屋や椅子、服につぎこんでいる。家では映画をたくさん観て、お酒を少しなめて、料理をして、手紙を書き、音楽を聴いて、穏やかに生活した。

今は酒場で過ごす自信を取り戻し、あの場の魔法を思い出している。念のために付記しておくと、あの夜のような経験は、現代社会で極めてありふれた(時代性を帯びた)もので、それを抱えて多くの人が平気な顔をして暮らしているのだ。ただ、その症状はありふれていながら、その渦中にある時、症状の普遍性が思い浮かばぬほどに固有に苦しいものだ。

あの日酒場で起きたことは、自分の中でもまだ受け止め切れていない。
街角でしばらく会わない父の幻影が見えるだとか、くだんの感染症で自宅生活を続けていたところ急に飲みに出たことによる反動、死の恐怖、自己同一性の探求の挫折、行きつけの床屋が自分の髪を長めに切っておいて儲けようとしているのではないかという被害妄想、SNSの一切を観ないようにし始めたなど、思いつく原因を挙げたが、どれも等しく馬鹿馬鹿しい。どれもが原因としてもピントが外れているような気がする。

ミシュラン星つきの寿司屋では、普段ひんぱんにとる写真を一切撮らず、無心で口に運んだ。驚くべきことに、店内のカウンターの木や海苔の香りなどが香ってくるようになった。普段ならとても感知できなかったはずの種類の香りだ。

今後は、大切な人の声が聴こえてこないFacebookは開かず、この場と酒場を自分の場にしていく。あと、誰かにおもねったカラオケの選曲は少しずつ減らしてくことにする。

2020/06/20

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Ryunosuke Honda
おさけmediated夜話

「道」のつく日本唯一の地域に移住。蓴菜、オクラ甲乙付けがたし。 対面でお話する時、ポテチ成分談義の話題がお好き。