「好き、の意味」

移動が好きだ。言葉に正確を期すなら、移動している間の時間が堪らなく好きだ。


たったいま、「好き」というありふれた言葉を使ったが、何が好きで何が嫌いなのか、ほんとうに好きなものは何なのかわからなくなる人が多いと聞く。

それに対する有効な判断基準となるのが、そのモノコトの全てを好きで居られるか、だと思う。あるモノコトの一部をつまみ食いして好きになることはある。

あの子の鼻筋が好きだ、あの子の横顔がいい、あの子の大きすぎないおっぱいがいい。そのような感慨を覚えるのは、大抵、街の中であり、ちょっとした”気の迷い”に過ぎないことが殆どだ。つまりそれは好きと呼ばない、そう私たちは理解している。

好きなものに関してはあれこれ細かい制約条件を加えない。ハンバーグがほんとうに好きだ、という人にとって一番の店、最高のハンバーグというものはあるだろうが、どうしてもハンバーグが食べたくなった時ハンバーグならなんでも手を伸ばして満足できる、それが好き、を端的に示しているのではないだろうか。

だからあなたがもし、大切な人、最近熱中している趣味、度々やり取りされる好きな食べ物に関する問い、に自信をもって答えられずにいるのなら、いいとこ取り、つまみ食いではなく、その全てを好きで居られるか、そう問いかけてみるといい。


ところで、私は移動が好きだ。

いま、バーカウンターでこの文章を書いている。つまり座って、止まってこの文章を書いている。

文章を書くことは、ある地点から別の地点へと移動する旅のようなものだ。そして何よりも地球は毎分毎秒回り続けている。

要するに、だ。

私は比喩としての移動も、より実践的な移動も、そのどちらも楽しんでいる。

これは昨日書かれるべき文章だった。ぼくは「移動のこと」が好きだから、きょうの夜もそのことについて書いてみたいと思う。

2017/8/25