「1日分の野菜、1食分の野菜、ああ悩ましい」

Ryunosuke Honda
おさけmediated夜話
5 min readJul 6, 2019

毎日寝る前に頭を抱えて悩むことは、死の恐怖なんかじゃない。死ぬのは怖いが、それ以上に私の頭を悩ますのが「1日分の野菜」という表記だ。

20代が何年が経てば誰でも自分にこう問う。

「野菜足りてる?」

答えはもちろんノーだ。圧倒的に不足してる。我々の食生活は歪んでおり、破綻してる。取り返しがつかないほどだ。

企業は不安につけ込む。不安あるところにビジネスが生まれる。

おっと急にシリアスな話になっちまった。何か馬鹿なことを云わないと。イワンのバーカ。云わんこっちゃない。異端児こっちゃこい。

それにしてもだ。実はたった今、最高の気分なのだ。チューハイとサワーの違いに混乱し、故郷の方向を向いて涙をこぼし(まあそれは嘘だが)、日々無意味に歩き続け、ようやく居酒屋でガリチューハイを見つけたのだ。なんてことはない今まで10回近く来ていて、正直云ってナメていた。夏に必ず飲みたくなる大好物ガリチューハイ(愛称ガリチュー)に出会えたのである。そうやって地球の表面をツーバン(2バウンド)しながら喜んでいたら、アルグリーンの”Let’s Stay Together”が店内のBGMで流れてきて「ああああパルプフィクションだああああ、ブルースウィルス、ウィリス、ウィルス、バイルス、ウィリー、あーまあなんでもいいけどタランティーノだああああ、ぎゃああああ」となったわけである。ここまででガリチュー1杯である。

2杯目をオーダーした。呼び鈴を鳴らすのが嫌で手近にいた店員に「ガリチューハイもう1つ」と頼むと「ガリチャンサワーですね」と訂正されたところで、話題は戻る。野菜の話だ。

あーもうマジで野菜が怖い。野菜が足りてるか毎日怖い。入眠前にこれ以上、野菜の恐怖に侵されると、私は野菜のせいで一睡もできないと云っても「ツクリ、モリ」の類いにはならないと信じている。

そして野菜が足りてるかよりも重大な問題は、商品の値段だ。恐怖に駆られて、震える手で毎日ローソンでレジに持っていくのは、ローソンブランドのスムージーだ。1日分の野菜が取れて確か180円ちょっとだったはずだ。開栓前に容器を振るのを忘れずにストローをさせたなら、私は心の平安を得られるはずだった。

だがそこで私はこう考える。どうして私が買ったスムージー「1日分の野菜」は同じローソンブランドで、しかも同じ値段のスムージーで「1食分の野菜」が存在するのか。もう悪い冗談にしか思えない。

本来、杓子定規の氷結カチカチの石頭で物事を考えるなら、このような等式が成り立つはずなのだ。

1日分の野菜=1食分の野菜×3

だが、私が住む世界では「1日分の野菜」と「1食分の野菜」は等価なのだ。おかしい。

利口な私はこうも考える。

つまり、1日分の野菜は何か重大な欠陥、落とし穴があるのではないか、と。それゆえの1食分と同じ値段なのではないのかと。

この仮説が正しいのなら、私は毎日、1日分の野菜を摂取する代わりに、とんでもないハンディキャップを少しずつ背負わされているのかもしれない。野菜が充足し、発ガン性物質を摂取する、など恐らくそんな見え透いた「原因と結果」ではないはずだ。もっと複雑かもしれない。

例えば1日分の野菜を1本飲むとアマゾンの熱帯雨林の木が1本枯れるとか。あるいは今年の冬に私が滑って転倒する確率が1%ずつ増えるとか。友達が1人減るとか。地獄に落ちて閻魔大魔王との面談時間が1分ずつ増えるとか。閻魔大魔王と何話そうか。会社の上司より話すことがなさそうだ。とりあえず瓶ビール注いでおいて、お世辞を打ち上げまくって口を滑らかにし、機嫌よく喋らしておけばいいか。

ややファンタジックな世界に飛んでしまったが、依然、野菜が問題である。全ての不安は野菜であると云っても過言ではない。

不安に負けて、大嫌いだけど一番よく触れてるイントゥアーネットに答えを求めた。

「野菜ジュース からだに悪い」

同じ悩みを持つ人は思いのほか多かった。そして答えは概ね出ていた。すなわち野菜ジュースの野菜は海外から運んできており、日本に持ち込む前に野菜を加熱してドロドロ状にしている。その際に栄養分が失われてる。つまり1日分の野菜は原料ベースであり、実際に摂取してる野菜はそれ以下である。つまり生で喰らう1日分の野菜ではないわけだ。真偽のほどはともかくあり得そうな説明である。

多くの人はそれでも野菜ジュースを買うだろう。

「やらないよりやった方がマシ」

という謎の自己正当化で、自分を満足させるのだ。そして私もその1人である。

それにしても今日はまだスムージーを飲んでいない。そうすると私は今日摂取すべき野菜を取り残すことになるのだろうか。そして持越しで負債として溜まった数十年分の野菜は、死後の世界で何らかの形で清算されるのだろうか。人生ゲームの株券や子どもの数みたく、貨幣に換算されるのだろうか。あるいは不足分、負債は苦役となるのであろうか。

ああ生きるって楽しい。ガリチューはまだ2杯目の途中だ。それでも、人生は続くのだ。

2019/07/06

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Ryunosuke Honda
おさけmediated夜話

「道」のつく日本唯一の地域に移住。蓴菜、オクラ甲乙付けがたし。 対面でお話する時、ポテチ成分談義の話題がお好き。