07 胴切越馬道

Doukiri-goe Badou

崖の道

【その1 崖の道】

馬道というと馬に荷を載せて運ぶのだから、それなりに広さのあるのだろう。牟岐から発し、やがて尾根を跨ぎ3kmくらいの地点は、左手の山側は大きな岩が壁のように立ちはだかり、右手はここで落ちたらひとたまりもない崖だ。道幅もここは心なしか控えめになっていないか。馬道の難所をあげるとしたらまずここだろう。しかし風景として画像に残したいと心から惹かれる。

反対側から

地点をお教えするのは非常に難しい。まず馬道の取合いが分からないだろうし、途中で道を迷うかもしれない。谷あいなぞはザレていて道が分かりにくくなっている。

関東方面で仕事をし、退職された後はご出身の牟岐にお帰りになった方と知り合った。幼少の頃慣れ親しんだ処で大丈夫だと、お一人で行きたいというので道をお教えしたことがあった。案の定、途中で迷われ帰ってこられた。作業道もついたため風景も一変し、馬道を見失ってしまったのだろう。ご運のないことであった。行かれる方は身の安全にも心を尽くして、出立されることを忘れないようにして欲しい。

崖の道ログ/FieldAccess

【その2 胴切越馬道】

牟岐町史をはじめいろんな文献に、牟岐から木頭まで続く「馬道」があると書いてある。それ以上の記述はなく、他の文献を当たっても「馬道」について解説したものが見当たらないので、探し求めてきた。しかしようやく春川登氏の編集により発行された「日和佐の百科事典」に見つけることができた。

【馬道】
牟岐町大字河内字芝と中木頭村大字平谷(那賀町)間、約32kmの古道のことをいう。胴切山(=牟岐町・美波町・海陽町の境界)を通る標高770mの胴切峠を越えたので胴切越線といった。山地と海岸を結ぶ馬車の通える基幹道として計画し
1909年(明治42年)11月7日着工、14年(大正3年)3月末に竣工した。当時、那賀川右岸の奥木頭・上木頭・中木頭・下木頭の4村は海部郡域に属していた。しかし、期待した産物の運搬や人の往来は少なかった。今はわずかに廃道の形跡を見るだけである。(p85)
こん谷取り合い

2007.4.1こん谷から馬道にアタックして以来、試行錯誤を重ねて探し続けて来た。その甲斐あってこの2014.4.27にようやく牟岐の取合いから海部山脈の林道まで辿り着くことができた。実に7年越しだ。片道で9.5kmだが、まだ先はある。とりあえず、現在の郡境までは達することができたので一区切りだなと思う。


【その3 囲炉裏】

山師の食堂

馬道を歩いて、胴切山から五剣山に連なる尾根をまたいで南下する。15分くらいで喜来谷上流にある端正な石橋を通り過ぎる。さらに歩みをすすめると、10分くらいの位置に丸太を四角形に配置した簡単な囲炉裏に出くわす。

杉の丸太を四角に置き、これを椅子がわりにして座る。その真ん中には火を焚いた跡がある。山師が仕事の合間にここで一服しているのだろう。山に入ったら一日仕事だから、ここは山の食堂なのだろう。もちろんセルフだ。

よく見ると道幅は少し広くなっている。山側には大きな岩があって崩れる心配もない。北向きなのでちょうど陰になるのだろう。少し西に寄っている。一休みするには、ここしかないというロケーションだなと感心する。胴切に来たなら、私もここでおにぎりを頬張ることにしている。

緑の道
胴切越中心部/FieldAccess

【その4 石橋】

喜来谷の石橋

山師の食堂をから北に10分くらい歩くと石で出来た橋に出くわす。喜来川の源流の涸れ谷にこの橋は架けられている。喜来谷を遡ってここに来るルートもあるので後日別に報告したい。

さてその石橋だ。もはや管理されてなく直接渡ることはできないが、その端正な佇まいはこの馬道に架かる他の石橋と比べても群を抜いている。良く出来たものだ。

さらにこの谷を登ってみる。そんなに時間もかからずに尾根に出くわす筈なので、一度行って見たい。というのもその先にある胴切山の一つ南の峰は見晴らしが抜群と聞いているからだ。

胴切山南のピーク展望

【後記】

後日、樫木屋を出発し矢助越を経由し、尾根伝いに白木山を通り過ぎこのピークを訪れてみた。南面が崖になってるせいで、樹々がまばらになっており、南方の見晴らしが素晴らしい。


【その5 喜来谷ルート】

喜来谷を遡って行くルートは、牟岐町教育委員会発行の「ふるさと探訪」の中で名所・史跡めぐりの11コースのオオトリとして紹介されている。対象は小学5年以上で子供だけで登らぬよう、大人が同伴することと一番ハードなコースとして取り上げられているのはとても頷ける。この資料は平成9年発行だから、まだこの時分なら牟岐では子供達に冒険をさせることにそれほど抵抗がなかったのだろう。

牟岐町観光協会の観光物産館「千年サンゴの里」のホームページでも、pdfが提供されていて次のアドレスで見ることができる。

http://www.mugigogo.jp/hiking_map/index.html

ちなみに胴切越馬道のオーソドックスなコースである平野(ひらの)からの路は、「シダがおい繁って通行不可」との判定だ。確かに私も始めて行った時、枯れたシダが塊となって馬道にせり出していて路を防いでいたので体当たりで突破した記憶がある。2008年、平成20年5月のことだ。

喜来の不動の滝

さて喜来谷からのルートには麓に喜来の「不動の滝」やシイの巨木もあり、これらを楽しみながら登ることができる。途中幾つか分かれ道もあるが、谷に沿って素直に遡って行く路なので平野からのルートと比べて路に迷う確率は非常に低くなる。そのかわり路は少し幅が狭い。分かりにくいが注意して行けばどうにかなるレベルだと思う。

不動の滝の岩屋

ただし、やはり山なので身の安全が保障されてるわけではない。ご注意されたい。谷を登りきったところに例の石の橋が現れホッとする。さぁ、ようやくここからが馬道だ。

喜来谷ルート/FieldAccess

【その6 地蔵】

馬道

石橋を過ぎてさらに胴切山に歩みをすすめることおおよそ10分、広葉樹林の中を山側から巨石が道の脇にころがり落ちている所に出くわす。その巨石と地面の小さな隙間に、お地蔵さんが佇んでいるのを見逃してはいけない。

巨岩と地蔵

実は胴切越馬道には2体の石仏がある。もう1体は峠にあり、祠があるのでよく目につく。しかし、こちらはうっかりすると気づかずに通り過ぎてしまう。そんな可愛い存在が人気のない山道ではとてもありがたい。


【その7 巨石と由来】

胴切山と朱書された巨岩

巨岩の下に密やかに佇むお地蔵さんからさらに歩みを北の胴切越に進めること10数分、さらに大きな岩が馬道沿いに落ちて来ているのを見つける。お地蔵さんの岩がなんなとなく柔和な空気を纏っているのとは好対照で、ここの空気はなんとなく怖さを感じる。それもそのはず、岩の壁面に赤字で大きく「胴切山」と書かれているからだ。岩もなんとなく、線が直線的で鋭利な刃物を思わせる。

ところでこの山を胴切山と呼ぶ由来がある。簡単にまとめると、蜂須賀公の頃、仇討ちになり相手方の胴を横切りに斬ったところから胴切山と呼ぶようになったと言われている。

深森 大木屋神社

なお物語には名刀が二ふり登場し、それぞれ、むかで丸と蝶丸と呼ばれる。これらは海部刀を思わせるところもあり興味深い。詳しくは「川上の民話」や「樫木屋の歴史」に出ている。そして「樫木屋の歴史」には深森、大木屋という名が出てくる。那賀町深森に大木屋神社があるのは何か関係があるのかもしれない。平井の大木屋とは違うのか。


【その8 禅僧林】

異様な巨木

赤文字で「胴切山」と書かれた巨岩を通り過ぎ、山側に5分くらい上がったところに異様な枝ぶりをした大きな杉がある。尾根続きの矢筈山にはかつて天然記念物にも指定されていた燈明杉という巨木があった。

また赤河内郷土誌にも「胴切山の大杉」として記載がある。(p10)

『胴切山の北面上部(馬道より約100m上方標高750m)の町有林内にある、横出しした根元の周囲8.5mで本村第一の大木である、五本の支幹に分かれているが伐採された後へ新芽が出て茂っている。天然生杉の樹態をよく保ったこの様な杉が殆ど無くなってる現在、天然記念物として価値が高い』

そういえば海陽町の小川は、平井、相川と並び禅僧林と称された。藩政期の郷土誌である阿波志の第十二巻には次の様に記されている。

『禅僧林
跨相川小川平井三村長一萬八十歩
生杉樅扁柏豫章小者圍二尺大者至
七尺其頂称櫧廬登六十歩熊多有大
杉周十三圍去之百八十歩始見其巓』
礫禅窟

4行目に「櫧廬」とあるが、これは「かしごや」と読む。城満寺の禅僧が修行したという禅僧山は海部川上流域の三村にまたがっていた。樫木屋の矢筈山中腹には礫禅窟があり、禅宗や修験道の修行の場であった。矢筈山から胴切山に至る山中には、天然生の禅僧杉の林があったのだろう。


【その9 大越】

日和佐川の最奥地にある大越という集落はあまり知られていない。ちょうど山河内を走る国道55号の山向こうに旧上那賀町に抜ける県道が平行して走っている。徳島から来られる方は山河内の国道沿いの風景を見て、田舎に来たなと思うのだが、本当の田舎はその山向こうにある。

大越

大越に行くには国道55号の日和佐トンネルをくぐり、山河内に入って次のトンネルの前を右折する。道なりに進みやがて現れる分岐を左に。この道は那賀町に通じる県道だが、凄まじく心細い一本道を通るので秘境が好きな方でないとお勧めできない。途中通る風景はかつての日本はこんな風だったと思わせる懐かしさを持っている。

さて、大越の一番奥になる伊保谷のヘアピンカーブから胴切越へと続く道が出ている。谷の左岸を登るがすぐ谷を渡り右岸を登ること1時間あまりで馬道に到着する。さらに車で町境の峠まで行くと海部山脈の尾根を走る林道があり、ここから行くとさらに馬道が近い。


【その10 胴切越】

胴切越

「胴切山」と赤書きされた大岩を通り越し、ようやく胴切越に到着する。峠には石造物が定番である。ここにも地蔵尊が祀られているとされ、古い文献に胴切地蔵と記されている。しかし、どうやら違うようだ。

胴切越に石像があって地蔵尊とされてきたが、像の下に水瓶や木靴が刻されていることから弘法大師像といわれる。【日和佐の百科事典 胴切山 p75】

地蔵尊でなく大師像ならば遍路道か?いや四国霊場八十八ヶ所の
遍路道からは外れている。となれば薬王寺への参詣道の性格があるのかもしれない。こういう例は多いのだろうか?興味のあるところだ。

ちなみに峠の向こう側は旧海南町で、旧上那賀町谷山に向かう馬道が残っている。


【その11 道のり】

樫木屋を望む

胴切越馬道は本来牟岐町の芝から旧中木頭村平谷までのルートだ。しかし山道にはよくある話で、あちこちの枝道からアクセスすることができる。一番手っ取り早く行こうとしたら、美波町と那賀町の境になる林道からだ。林道を西に歩き取合いから30分ほど山道を歩くと胴切越に到達する。色んな山のガイドブックに真っ先に掲載されているのはこのルートだ。当然、情報が他に出てるのであんまり面白くない。

その町境の峠の麓となる美波町山河内字大越からのルートは馬道に着くまで約1時間だ。そして牟岐の喜来から谷沿いのルートがあり不動の滝やナギの木を楽しみながら登っていくと石橋に出くわす。4番目は山のガイドブックに掲載されている牟岐町こん谷からのルートだが、ここではあえて取り上げなかった。

最後に海陽町からの枝道となると、樫木屋の地蔵谷から登っていく。区切りでは既に踏査を完了しており、コースは把握しているもののまだ通しでは歩いてはいないので後日歩いてみたいと思っている。

胴切越/FieldAccess

アクセス

徳島市から国道55号を車で南に約1時間40分で牟岐町に着きます。

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