26 小田坂峠

Odasaka-touge

奈佐 和彦
Nov 6 · 3 min read

【 その1 花折地蔵】

海部郡美波町では、土佐街道は木岐(きき)の白浜から山座(さんざ)峠を越え田井に降り、さらに山越えで北河内(きたがわち)に降りて来ていた。小田坂峠を北河内に少し降りたところに花折地蔵が置かれてある。

花折地蔵

赤河内村が昭和の大合併で日和佐町と合併して消滅する前に出された『赤河内郷土誌』に、その花折地蔵の謂れが掲げられている。

【花折地蔵】
北河内登から田井に抜ける道を小田坂と云い、峠の上には一本の大松があって目標となっている、峠から200mほど手前の路傍に石地蔵を祀ってあり、花折地蔵と云われ里人によく知られている。この石地蔵はコンクリートの板石で囲うた中にあり、舟形塔で高さ33糎、巾15糎で正面に地蔵尊の立像が浮彫され、その両側に「明治15年10月吉日、花折地蔵」の文字がある、もちろん花折地蔵の名は明治12年の調査書にも見え昔からあったのであるが、古いのが傷んだから新しく造ったものと思う、編者が調査に行った時(1月4日)は花立に菊の花、ヒサカキ、ネズミモチ、ツバキ等の小枝が挿してあり、またウラジロの葉に蒸イモ四個を載せて供えてあった、北河内から田井に磯釣りに行く人はその地蔵に花(何でも付近にある青葉のついた小枝)を供え、魚がよく釣れますようにと祈願して行く習慣があり、なお歯痛によく利くと云われ、お礼にはボタ餅をあげますと云うて祈る、前記の蒸イモもボタ餅の代用であろう、昔は幟なども立ててあったと云う。
大正ごろの事であるが、ある人が磯釣りに行ったが魚が釣れなかったので腹を立て、帰りにこの石地蔵を道の下へ転がし落した、その人は今日和佐に居て健在であると云う。【赤河内郷土誌 p130–131】

【その2 道のり】

土佐街道は山座峠を経て田井にある農家民宿クニ舛田の脇に降りてくる。

その道が山にあたるところが小田坂峠の取合いになっている。小田坂峠は北河内からの坂の名前だ。田井からの坂には別の名前があり、ソロバン坂と呼ばれていた。残念ながら謂れは不明である。

田井から800mほど登って行くとトラバースの道になる。これが約900m延々と続くのは珍しい。途中にある大きな炭焼窯の反対側からは降り道がある。

小田坂峠

そしてこのなだらかな土佐街道が終わるあたりに小田坂峠がある。目印は松の大木で地元の建設会社が所有しており、「一本松」と表示されている。一里松は蜂須賀の殿様が一里ごとに土佐街道に置いた目印なので、それと区別してこのネーミングにしている。面白いことに地蔵は峠に置かれず、北河内に約200m降ったところにある。これが花折地蔵だ。

この道は幅が比較的広いまま残っているのが珍しい。田井側に一部シダが茂る箇所があるが、それ以外は快適に歩くことができる。しかも傾斜がゆるやかなので、オススメの古道だろう。

地理院地図/FieldAccess

かいふのほそみち

かつて日々の暮らしとともにあった古道を巡る旅。

奈佐 和彦

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スピリチュアルな島、四国の中でも取り分け人の手が及んでないエリアといえる四国の東南部。そこに暮らす人々の営みや自然の移ろいを追っています。

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