「才能」に憧れて、心折れたわたし

「誰にでも得意なものがある」ってほんと?

どうもとゆい
こころざしかわいく
3 min readSep 4, 2017

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「お母さん、あたし、先生褒められたよ!」

「あたしの書いた習字が入賞したよ!」

「クラスで1番足が早かったよ!」

そうやって、キラキラした目で報告してたあの頃。

気がつくと、字は下手になったし、足なんてちっとも速くないし、特に得意なことなんてない。

褒められたことや得意だと思ったことを頑張ってたら、自分より上がいて。あたしは、それに耐えられずに、頑張り続けられなかった子どもだった。ほんと、狭い世界を生きてた。

でも、その代わり、いろんなことに挑戦できた。いつも一過性のブームで終わってたけど、いろんなものが見られたから、今はそれでも良かったなぁと思ってる。

そんなわたしも、今は「これは得意かも」と思えることがあって。

それに、あの頃よりも大人になったから、人と比べたりしなくなったので、続けられそうなのだ。

そんな時、ライフハッカーでこんな記事を読んだ。

世の中の成功者の「成功要因」を分析した結果、わかってきたことがあるのだといいます。それは、どんな才能を爆発させるかは千差万別だとしても、「才能を見つけ・育て・爆発させる」というプロセスには共通点が多いということ。

『「才能を見つける」ってのが難しいんじゃないのよ』と言いたいところだけど、”人より速く出来るもの”に、才能が隠れているかもしれない、のだそう。

人より速く走れる。人より本を読むのが速い。人より喋るのが速い、、、。

今のわたしでいうと、プログラミングかもしれない。

学び始めてまだ半年も経っていないけど、今一緒に学んでいる周りの人よりは速い。だから、他の人より「育てる」時間を多く取れた。

時間が経つにつれて、できるスピードが増していったけど、それは人より勉強していたからだと思う。

勉強することが苦じゃないこと

プログラミングの勉強はどれだけやっても全然苦じゃない。「数日前にできなかったことができるようになった!」って感動に日々巡り会えるから、どんどん吸収できる。

そんなプログラミングを学ぶ機会を得たのは、ほんとうにたまたまで。この春まで、今のあたしの姿を微塵も想像できてなかった。

「得意なことも才能も何もない。最悪」と捻くれていたけれど、ひょんな事から見つけてしまった。自分の才能の芽に敏感になれて良かったなぁ。愛でて育てていきたいと思う。これが例え、いつもの「ブーム」だったとした。

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