東京の夜空に星はない。
街は華やかで、人々は忙しげに行きかうけれど、ビルの足元から空を見上げてみたって、部屋の明かりを消してみたって、この街から星は見えない。見上げた空に星がないことが、私は寂しい。古代ギリシャの昔、船乗りたちは星を頼りに行く手を定めたというけれど、東京タワーもスカイツリーもただそこにあるばかりで何も教えてくれない。
寂しい夜、相手の寂しさを埋める余裕をなくす。
「どうしようもなく寂しい夜くらいあるでしょう」
「君の寂しい夜を満たしてあげることはいくらでもできるけど、君そのものを引き受けるほどの覚悟なんてないよ」
「そんなの私にだってないわ」
互いの寂しさを喰い合って飢えをしのいだところで身を切るのは寂しさばかりで、いつも上手く逃げを打つ人の前で、いつものように子供のふりをしてくるくる回ってみた。甘えて擦り寄ってみたり、私より高い体温にむずかってみたりしているうちに、星のことなんて夜に飲まれていった。 バタイユではないけれど、擬似的な死は日常の閉塞感に倦んだ人間に仮初の救いを与えるというのは、どうしようもなく真実なのかもしれない。
幼いころ、「自分は生きている」と考えると怖くなった。
生きているということは、いつか終わりが来るということだ。死すべき定めの人の子としてこの世に生を受けたことそのものが、怖くてしょうがなかった。
今ここで思考している私とはいったい何なのだろう。「私」が途絶えたとき、私の思考はどこへゆくのだろう。「私」が途絶えたとき、私がかつて確かにそこに在ったことを、いったい誰が思い出すだろう。
それはもはや祈りだった。あの頃から私は、私が途絶えたあとにさえ私の思考の隘路を残すために言葉を探し続け、私が途絶えたときに本気で泣いてくれる誰かを見つけるために生きているのかもしれない。
空を見上げても星が見えないときに湧いてくる感情は、あの時に感じた不安とどこか近い気がする。
幼い私は怖いときいつも、布団の中で天井の下の暗がりに目を凝らした。すると次第に、視野いっぱいにぎっしりと、無数の赤い星が浮かび上がってくる。小刻みに振動するそれらは、私がそこに在ることの証にはなりえなかったけれど、波立つ心を凪がせる程度には美しかった。
そうやって恐怖をすり替えたことで現実味は次第に損なわれ、今も私には、「自分は生きている」と実感できる瞬間があまりない。今ここにいる私、というものに、もう私はそれほど確かさを見出していないし執着もしていない。けれど、あのころのように真摯な不安はもう抱けないのに、この街で言い知れぬ寂しさに苛まれている。
だからこそ、星も救いも見当たらないこの街で、あの日の瞼の裏の星を思い出すのかもしれない。
《№4 お題: 夜空に星は輝かないけど》
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エナメルさまのお題をお借りして、短いお話を綴っています。
人の心から生まれ、育つ言の葉。うつろいやすい心が、うつろわぬ言葉として、あなたのもとに届きますように。