つくる

Yuri
ただいまを言いたくて
Nov 20, 2022

秋も深まり、私の周りも卒業モードになってきた。しかしながら、私の中で卒業プロジェクトを「つくる」ことの本当の意味はまだまだよく分からずにいる。三田の文学部で社会学を専攻している友人が、死生観をテーマにした卒業論文を書いているという話を聞きながら、必然的に私自身の卒プロが果たしてどのような意義を持つのかを考える。質的調査と量的調査を続け、200人にアンケートをとった話、インタビューを文字起こししているという話、慶應が無料で提供しているデータ分析ソフトの話などを聞きながら、単純に「すごいなー」と思った。一般的な社会学の調査はこういう感じなのか、と初めて知り、こういうことを4年間積み重ねてきた友人に尊敬の念が改めて生まれる。同時にまたしても私自身の4年間のバラバラさを自覚して、つくる過程を伴う卒業プロジェクトにどのような意味を見出すべきかをよく分からなくなっていた。

ただ同時に、去年のフィールドワーク展の様子を思い出しながら、つくることで開かれる人との関係性やコミュニケーションの可能性についても思い出していた。去年の4年生が作ったものは、それぞれ内容も形態も違ったけれど、フィールドワーク展の中でその場その場で起こっていたコミュニケーションには何だかイキイキした雰囲気が流れていた。来場者アンケートでも、自分自身の経験と結びつけて何か深い実感や理解を噛み締めているような文章もあった。そんな経験を思い出しながら、つくることは終わりではなく、そこから何かが始まるきっかけなのかもしれないと思った。

自分自身の卒業プロジェクトが終わりに差し掛かっていることを実感すればするほど、去年の4年生がどのようにこの時期を過ごしていたのかを考えるようになった。きっと様々な悩みや葛藤の中で、自分自身のプロジェクトの意味を見失ったり、その方向性と終わり方がよく分からなくなったりすることがあったんだろうな、と今では思う。実際に何かをつくろうと試みてはじめて、去年の4年生の卒プロの過程や思考の軌跡が面白く感じたり、より近く感じたりするようになった。おそらくつくる過程でしか得られない葛藤は、他者との関係性を再定義したり、これまで触れていたものが全く違う見え方になる可能性を持っている。今までなんてことなく読んでいた本も、ここに誰かの「一つの作品をつくる」という思いが存在していたことを汲み取れば、それぞれの章や全体的な構成が不思議と興味深く見えてくる。そこに確かに作者の葛藤や深い意図を感じられれば、彼らが全くの遠い他者ではない実感がじわじわと湧き上がる。そういう視点を楽しみながら、また自分自身の進んでいかない文章に向き合うことも一つの楽しさだと思う。

今は、まだまだ先が分からないまま、文章を書いたりこの後の流れについて考えたりしているけれど、そのモヤモヤする過程で様々な可能性に思いを巡らせてみたいなと思う。もしかしたら、自分が作ったものはよく分からないまま終わるかもしれないという怖さももちろんはあるけれど、その分からなさを持つことで、解釈の幅が広がったり、異なる意見を受容しやすくなったりするのだと思う。卒業プロジェクトを通した4年間のやり切った感は今の私にとっては輝いて見えるし、大事なことだとも思うけど、やり切ったのかよく分からないような状態の中で、それを丸ごとその後の人生でも抱えて生きていくことにもささやかな豊かさがあると思う。まだ作り終えたことがないし、この先どうなるのかは分からないことだらけだけど、そんな小さな未来に希望を託し、少しずつその始まりに向かって、私の体験を丁寧に文字に起こしていきたい。

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