つくる

生活史の聞き取りで語られる内容は、語り手によって「つくられた」語りだ。「つくられた」というのは、フィクションという意味ではなく、過去の体験を語り手自身が紐付け、自ら物語化しているという意味だ。点在した個々の体験の提示されるだけでは、語りとして受け取るのは難しい。

聞き取りの場面で「今思えば小学校の時から〇〇だった」や「その時の自分が今に繋がっている」などという語りはよく見られる。語りの中で語り手自身が過去の体験との関連性を見出し、その気づきを語ってくれることは多い。

過去のことを取捨選択して、過去の自分と今の自分を繋げて語ることを「物語的自己同一性」と呼ぶそうだ。物語化し、意味づけをすることは、過去の喪失体験などの出来事を「了解」するために必要なプロセスだという。聞き取りの際、語りとして表出した経験は、語り手の中で物語化され、了解された出来事を聴くことができていると言えるだろう。

ただ、語り手がどれだけ本心で納得感を持ち、その物語を語れているかはわからないし、知る由もない。しかし、唯一、納得感を得られていないことがわかっているのが私自身のことである。「なぜ自分が札幌に行ったか」がいまだにわからない。

就職活動がうまくいかなかっただとか、コロナ禍で学ぶ場所が関係なくなっただとか、そのほか複合的な理由から適応障害まがいの状態になったからだとか、なんとなくそれっぽい理由を並べ立てることはできる。しかし、どうもどの答えも納得がいっていない。「札幌に一回は住んでみたかったんですよね〜」と言うと、休学してわざわざ居住地を変えるという行動力のある学生と見なされるパターンが多く、評価と実態のズレに困惑しつつも笑顔で乗り切ってきた。「衝動」で片付けて仕舞えば話が終わるが、どう考えても衝動で片付けるにはリスクの大きすぎる行動だと思う。経済的余裕があるわけでもないし、現地に頼れる人が多いわけではなかった。今思うとかなり無謀な話だが、それほど何か切羽詰まっていたのだと思う。

他者の話ばかり聞いているが、自分自身の語りにいつまで経っても納得感がない。了解に至るまでの物語化を経ていないということだろう。この理由がわからなければ、また私の身体と心は強制シャットダウンを起こし、大好物のてりやきツイスターの味がしなくなり、布団から出られなくなってしまう。今後、まともな生活をしていくためにも、自分自身に何が起きていたかを納得することは必要不可欠なのだ。

そこで、特に大きな要因となったはずである適応障害まがいの状態(診断書を受け取ったわけではないので断言はできない)になった際の自分について周囲の友人や親に話を聞いたり、当時の日記を見直している。まず、当時の記憶があまりないことに驚いた。友人とのLINEや下書きに残ったままの日記などが記憶を呼び起こす助けになった。記録を辿りながら気づいたのは、当時の私の文章は支離滅裂で、そもそも自分の状態をうまく説明できていないということだ。週に一度受けていたカウンセリングにおいても、カウンセラーの問いかけに答えようとすると頭の中に靄がかかって、言葉が出る前に涙が出てしまうことが何度もあった。冷静に自分自身の状況を見つめることができていなかったのだ。

2年という時間はかかったが、今ならあのときの自分を慰められる気がするのだ。札幌にまつわる卒プロをやるということは、つまり、札幌という土地で、私の中の何が癒えたのかをわかりたいという意思表示だったのだと思う。札幌で出会った語り手との交流を通じ、自分自身に何が起きたのかを理解することがこの卒業プロジェクトのゴールだ。

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