つくる

私は小さい頃、自称「発明家」だった。なかでもいちばんの大作は、2段ベッドの上段から手の届かないドア脇にある電気スイッチを押す装置だ。材料は主に紐と段ボールで、紐を引っ張ると重石のついた段ボールがスイッチを押す仕組みだった。完成してから数週間であっけなく壊れてしまい、何度か改良したものの長持ちせず、結局、自分でスイッチを押すのがいちばん早いという結論に至った。わざわざ2段ベッドから降りて電気を消すのがめんどうくさいという私の怠惰な性格が大きな原動力になっていたが、製造業を営む祖母の実家でよく手伝いをしていた経験も影響していたと思う。

横浜にある祖母の実家は主にプラスチックから部品をつくる加工場で、化粧品の容器やストラップの部品などを製造している。東日本大震災の後には放射線測定器の容器の発注が急増し、亀裂が入ってしまった壁を直す暇もないほど忙しそうだった。これが東北で役に立つのだという使命感のようなものを抱きながら、毎日学校帰りに加工場に通って手伝っていたのを覚えている。

加工場で製造されていたのは、あくまでも部品に過ぎない。つまり、組み立てて完成させるのは他の工場だし、他の工場でつくられた部品をさらに加工して、また他の工場へ送ることもあった。ひとつの放射線測定器が現場に届くまでには、部品がさまざまな場所で製造され、工場を転々としながら完成し、梱包されて運ばれるという長い道のりがある。そのいち過程を間近で見ていたからか、身の回りにあるものがどのようにつくられているのかに強く興味をもつようになった。

ものがどのようにつくられているのかを知りたければ、自分でつくってみるのが早いと思う。そして、実際に自分でつくると、ものから得られる情報量がどっと増える(ついでに言うと、2段ベッドから電気を消すことの難しさもよくわかる)。たとえば、私は趣味でアクセサリーをつくるのだが、お店で売られている既製品を見ると、ついパーツを確認してどのように組み立てられているのかを読み取ろうとしてしまう。「かわいい」「あの緑の服に合いそう」だけでなく、「Tピンを連結させて全体を長くしているんだ」「手作業だと1時間あればつくれそう」とアクセサリーをジロジロ観察しながら、購入するか考える。一度「自分でもつくれる」という発想をもつと、つくるという工程を省き既製品を得ることに対価を払うのが惜しくなってしまう側面もある。

卒業プロジェクトで他者とともに携わる行為をワンピース製作に決めたのは、アクセサリーの延長で、服も何度かつくったことがあったからだ。ワンピースであれば2人の様子を観察するのに作業量がちょうどいいし、襟やポケットなどの装飾によって難易度の調整が可能なこと、そしてなにより、完成したらすぐに全身で纏えることが魅力的だった。おかゆは服づくりが初めてで、私も十分慣れているわけではなかったため、一緒に教科書をめくりながら作業を進めた。未経験のおかゆを見ていると、私が初めてつくったときの気づきと感動をそのままなぞっているかのようだった。おかゆが自分の服と見比べながら、袖のつける向き、ダーツ(服を立体的に見せるための仕法)の意味を理解していく。工程を経るごとに「服ってこうやってできているんだ!」と感動している様子を見て、この経験を誰かと共有したかった自分がいたことに気づいた。ものが複雑で難しい道のりを乗り越えて完成しているのだと感動する瞬間に立ち会いたかったのだと思う。

卒業プロジェクトに取り組んでいると、今回のような本来のねらいではない発見をすることがよくある。卒業プロジェクトは大学の単位でありながら私の生活と密接に関わっていて、日々の自分の態度を見つめ直すきっかけにもなっている。

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