「ふり返る」を読んだ。

ひとまず、最終号である。まずは、『ただいまを言いたくて』を毎月刊行できたことを喜びたい。長かったようなあっという間のような、それでも「卒プロ」のはじまりを契機に刊行がスタートしたので、1年ほど続いたことになる。
こうした媒体をつくることにかぎらず、日ごろから「続けること」の価値について口にすることが多い。難しいのは、実際に続けてみないとその価値がわからないということなのだが、「ふり返り」は、まさに「続けること」の価値を実感するための手続きなのだと思う。

この『ただいまを言いたくて』は、「卒業プロジェクト」に取り組むメンバーが、お互いの進捗を見守る仕組みとして考えられたものだ。毎号、決められたテーマのもとで文章を綴る。それぞれのテーマは、着想から実施、考察、まとめへと向かう調査研究の一連のプロセスと呼応するように考えた(現実的には、これほどシンプルなものではないが)。ぼくは、一週遅れで、可能であればひとり一人の記事の内容に多少なりとも関連づけながら「〜を読んだ。」というタイトルで後を追う。つまり、ぼくの役目はつねに「ふり返り」をおこなうことだったといえる。

まず、『ただいまを言いたくて』はどのくらいの人に届いたのだろうか。Mediumには記事ごとの閲覧状況の記録を「Stats」として参照することができる。そのなかの「Views」という項目を見るのが、一番単純な目安だ(※1)。これまでの各号が、どのくらい「見られた」のか。残念ながら、ほとんど「見られて」いない。ちいさな集まりではあるとはいえ、「研究室」のメンバーは30名ほどいる。毎月、刊行されるたびにメンバーには案内を出しているのが、30さえ越えない月がほとんどだ。昨年3月・10月の「Views」が多いのは、それぞれ年度や学期が切り替わる節目だからだろうか。このちいさな媒体とともに、「卒業プロジェクト」の輪郭がかたどられてゆくプロセスに伴走したメンバーは、じつは、あまりいなかったということだ。

ぼくたちの取り決めとして、毎月10日に初稿を仕上げて、読み合わせをすることになっている。その後10日ほどかけて記事の内容を熟成させ、コメントを参考に加筆・修正を施した上で公開するというやり方だ。ふり返ってみると、期限までにすべての原稿が揃わないこともあった。閲読して、お互いにコメントを書き込むというやり方も、だんだんと勢いを失ったように思える。惰性や弛みは、避けられないことなのだろうか。

じつは、何人に「見られた」かは、それほど重要ではない。まず、この1年間、定期的に文章を綴るリズムを維持できたことが大事だ。少しずつではあるが1600字程度の作文を書き続けてきたので、合わせてみれば、それなりに読み応えのあるボリュームになる。そして、一連の文章が「卒業プロジェクト」と並行して紡がれていったことが重要なのだ。各号の記事は、ひとり一人が自身のプロジェクトに直接言及したり、あるいは間接的につながりを示唆したりするものだった。だから、これまでに書かれた文章は、最終的な成果物を読み解くのに欠かせない資料(1年間の経過を知るという意味では、史料だろうか)として位置づけることができる。

ぼくたちの目標は、つねに書き換えられる。データの整理(たとえば文字起こし)に必要な時間とエネルギーを見積もっておかなければ、誰かに手伝ってもらうことになる。たっぷり文章を書こうと決めていても、半分程度で力が尽きるかもしれない。もっと早くにはじめていれば、よかった。ちゃんと段取りを決めていたはずなのに、道半ばで終わってしまう。あれこれと反省する。1年間にわたってプロジェクトを育ててゆくのは、なかなか大変だ。だが、こうして記録を「続けること」が、ぼくたちのふり返りを促し、コミュニケーションを生み出す文脈を整理するのに役立つ。そのことだけは、確実な体験として身体が覚えているのだと思う。

※1: Statsでは「Views」のほかに「Reads」もある。実際には「見られた」件数よりも「読まれた」件数をもとに、ふり返ったほうがよさそうだ。

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Fumitoshi Kato
ただいまを言いたくて

日々のこと、ちょっと考えさせられたことなど。軽すぎず重すぎず。「カレーキャラバン」は、ついに11年目に突入。 https://fklab.today/