ふり返る

思えば秋学期はひたすら振り返っていた。聞き取りの場を「現場」とするならば、9月以降はずっとその現場のふり返りだった。録音データを聞き直すのも、当時の感覚を思い出すのも、全部ふり返りだった。

現場の刺激から離れて、その場を見つめるのは時にくすぐったい。1年前の聞き取りのデータはあまりにも自分の聞き方が下手で聞いていられなかった。食い気味で質問していたり、相手の言葉が出るのを待たずに自分の言葉にすり替えてしまうなど、反省点を上げたらキリがない。昔書いた文章を読み返すときのむず痒さとも近い。

生活史の編集とともに、札幌での生活にまつわる日記を書き直していた。日々の小さいことから大きなことまで、記憶に残っていることをとにかく書き出した。それらもまたふり返りだ。良いふり返りには、なんとも言葉にしづらい、確かな私によるまなざしのようなものを育てる必要性を感じている。

書かれた日記は、今現在の自分によって拾い上げられた記憶の一部でしかない。それは、文章を書いた時の感情や体調によっても変わる。当時の感情や出来事を全て洗いざらい書き起こすのは無理だ。プライバシーや自分の気持ち的にも書ける話と書けない話があった。当たり前だが、人に言いたくない話もある。非常に主観的な、自己開示の許容範囲のせめぎあいでもあった。自分の記憶や記録しか頼れないことに、おぼつかなさとままならさを感じていた。

自分の記憶を辿る中で、なにを拾い上げて、なにを捨てるのか。それは、現場を観察するまなざしであり、表現する言葉である。その自分のセンスにまだ自信がないのだと思う。年末年始の休みで、いくつか気になっていたエッセイを読んだ。現場の状況説明をしながらも、著者の感情の変化がうまく滲み出たエッセイを読むと、してやられたような気持ちになる。特に、安達茉莉子さんの私の生活改善運動 THIS IS MY LIFEはとても理想的だった。自分の暮らしを等身大で再構築していく姿は、私が札幌で暮らしを営んでいた時と重なった。ああ、まだこの表現力が私にはない。現場を捉えるまなざしも、それを表現する言葉も私はまだまだ未熟だ。だけれど、私は日記を書き続けるし、記録を続けてみることにした。その未熟さを乗り越えるには、現場を見て、書き続けるしかないのだと思う。

不安を抱えながらも書き切った日記を眺めながら、やはり自分の弱さと対峙し、そこから回復した日々のことを考え直したいという気持ちが強くなった。札幌での生活は、自分の「回復」の時間であったことは間違いない。1年間の生活で確かに何かが変わり、生きやすくなった。その回復に関わったのが、生活史を聞かせてくれた友人や先輩であった。語り手の人生を記録する自分自身が、語り手によってどのように変化したのかわかりたかった。

表現主義のオートエスノグラフィーは、人生をより良くすることを目的に、痛みや混乱、怒り、不確かさを吟味し、それらを乗り越えていくために書く。( オートエスノグラフィー,p94)

痛みや混乱、怒り、不確かさを感じていたものの、それを吟味できるような準備が整っていなかった。日記として見える形になったことで、初めて吟味するための材料が整った。そこからどう考察するかが未だ課題だ。個別具体の体験から、より共有しやすい知にまとめていくことが次のステップだ。どうまとめていいかは、まだわからない。それを自分自身が納得する形で書き切ることで「乗り越えた」と言えるのかもしれない。

ここにきて、生活史の聞き取りと自分自身の記録の関係性がまだうまく説明できていない。だけれど、確かにつながりはあって、同時に存在することが重要なのだとなんとなく感じている。札幌の生活の中で紡がれた関係性を表現する生活史集と、その中で変化していった私の記録としての生活記録集だろうか。いずれにしても、札幌で変化した<私>を最も表現できる形を模索していきたい。

--

--