別れる

1/30、製本された生活史集が届いた。札幌へ行き、話を聞き、文字起こしをし、編集をし、レイアウトをし、表紙をつくった過程を思い起こす。長い制作を経て、形になったことが素直に嬉しかった。製本され、重みのある形になると、語りの分厚さを思い知らされた。箱に整頓された本を眺めながら、この本が語り手にどのように受け取られるのか、少し不安でもあった。

15冊の本を抱えて札幌に向かい、話し手の皆さんに直接手渡した。郵送も考えたが、本に初めて触れる瞬間に立ち会いたかったため、できる限り直接会って渡すことにした。自分がつくったものを人に見せる時間は、何度やっても慣れない。「本を渡したい」と連絡をしておきながら、本題ではない話をし、話を切り出すタイミングを先延ばしにしてしまう。最後の最後でおずおずと完成した本を渡す。すると、話し手のみなさんは想像以上に喜んでくれて、今までの不安は吹き飛んだ。わあと言いながら、本を開きつつ顔がほころぶ。聞き取りの状況を思い返すように会話が弾む。その様子を見て、私のやっていたことは少しでも意味があったのかもしれない、とやっと実感を得た。私が感謝したいのに、「話を聞いてくれてありがとう」と逆に感謝されるようなこともあった。ある語り手は、時間をかけて話すことで過去の自分が整理され、前を向くことができるきっかけになったと伝えてくれた。その他にも、語りをかたちにすることで生まれるやりとりが多々あった。本を手渡す瞬間は、身近なひとにむけた「ちいさいメディア」の役割を果たしている場だった。「〇〇さんに聞いてみたら?」、もっといろんなひとのを読みたい、さらには韓国語に翻訳してより幅広いひとたちが読めるようにしたいなど、思わぬ広がりに期待がふくらんだ。

特に印象的だったのは、「知り合いの別の一面をみてむず痒い気持ちになった」という感想だった。14名の中には顔見知り同士の人も多い。もちろん、会うたびにその場その場でのリアルなコミュニケーションがありながらも、知っている人の知らない一面を文章として読むというの行為はなかなかない。本の中で語り手と新しく出会うだけではなく、「出会い直す」体験が起きているのではないかと感じた。その体験は、私自身の関係性の中から語り手をお願いしたからこそ起きたのだと思う。

2月の展覧会を区切りに、1年間考え続けてきた「札幌と私の生活史」というプロジェクトと一旦のお別れをすることになる。本という形になった生活史は、自分の手元から離れ、たしかに他者の手に渡っていった。展覧会でもより多くのひとの反応をみていきたい。今後どう読まれ、どう伝わっていくか、もうすこし時間をかけて観察していきたい。

別れ際が苦手だ。ちゃんと目を合わせて別れの挨拶をしないともどかしい。いつどこで会えなくなるかわからないからだ。思えば、この恐れに似たような、怯えのような気持ちがひとつの原動力になっていた。

体温がある、 どんな人間も死んでしまいます。

なにをどのように考えても、人間は生きているから、その体温で必ず溶けてなくなってしまう。 春の淡雪のように。

でも誰かがそれを見ていたら、 それが消え残ってつながっていくんですよ。

僕は一瞬あらわれた淡雪のような考えをとどめておきたい。

「こんなのがあったよ」と見てもらうのが僕の仕事なんです。

(2003、磯田道史)

私が札幌で暮らし、そして、そこに確かにあった関係性を残しておきたい。その関係性は一瞬あらわれた淡雪、なのかもしれない。誰かが残そうとしなければ残らなかった個別具体の人生を語り直し、本として残すことで、だれかがまた語り続けてくれるだろう。卒業プロジェクトとしては一旦の区切りだけれど、今後もその語り直される瞬間を、現場と言葉を往復しながら見届けたい。

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