別れる

私の高校では、卒業式の後にディズニーランドに行くことが恒例行事になっていた。制服での寄り道が校則で禁止されていて、卒業式はその校則から解放される記念すべき一日目だったからだ。罪悪感に苛まれることなくパーク内を制服で闊歩し、夜が近づくとインスタのストーリーで伝言ゲームのようにしてシンデレラ城前への召集がかかる。向かってみると100人近く同じ制服を着た同級生が集まっていて、そこで集合写真を撮るというのが私たちの儀式だった。その日はホテルで一泊し、翌朝は壮大な別れの挨拶や次に会う日の約束をせずに解散する。特別なシチュエーションで、しかしいつもの自分たちで楽しむのが卒業式の夜だった。

先日撮影をお願いした27歳の女子校出身の人は、社会人になった今、週一くらいの頻度で女子校時代の友達と会っていると話していた。大学時代よりも会っているという現在について、何度かコミュニティの節目を経験したあとで最終的に戻っていくのが女子校だったと言っていた。前回の「ふり返る」で書いたように、私は大学卒業を前にしてようやく女子校についてふり返るタイミングが来たように思う。入学当初は新しい環境に興奮し、新しいコミュニティを作ることに必死だった。しかし、どのコミュニティにいてもこれまでとは違う違和感が募り、その中でも親しくできた友達と会う中で「この感覚を知っている」と、紅茶とマドレーヌのように女子校での記憶が立ち現れてきた。それは、卒業式の日には実感することのなかった「別れ」をようやく認識したということなのかもしれない。

『失われた時を求めて』の第4篇では、ブーツを脱ごうと屈んだ主人公が、その瞬間に一年前に亡くなった祖母の屈む姿を思い出し喪失を実感する。そして「シャンゼリゼで彼女が発作を起こして以来、はじめて私は無意志的で完全な記憶のなかに、彼女の生き生きとした現実を見出したのだ。こうした現実は、私たちの思考によって再創造されないかぎり、私たちにとって存在しない」と続ける。「つくる」では、世界をつくりなおす方法として女子校を考えたいと書いた。「あの時はああだった」と思い出すことが女子校という今生きる現実とは違う世界を手放さない方法になるのだ。女子校での経験は、『失われた時を求めて』における祖母の記憶よりも社会的だ。しかし、思い出すまで記号化されていた祖母と、社会において語られる女子校の記号性は似通う。別れを実感し記憶をたぐり寄せることで、自分が経験した本当のそれを取り戻せるのだ。私たちはプルーストの言う、事実が起こった瞬間ではなく「感情のカレンダー」において別れや喪失をはじめて実感した時に再創造の衝動に駆られるのかもしれない。それは「思考によって再創造されない限り存在しない」からであり、その存在を保存したいという強い欲求なのだろう。

『失われた時を求めて』では祖母の想起や出会いなおしと同時に永遠に失ってしまったことを悟る。女子校での経験を、もはや過去のものとして、一過性のユートピアとして語る人もいる。たしかに現在中高時代のような自動的な女子校環境は発生しにくく、その点では失ってしまったものでもある。しかし、個人的な記憶ではない女子校という経験における出会いなおしを、永遠の喪失の実感にはしたくない。「女子校時代の別れ」と出会い、「女子校での経験」と出会いなおすことは今や未来を生きる上での希望になりうる。その瞬間を保存するために、卒業式の夜から4年が経った今、私は女子校という経験をシンデレラ城前ではなく小さな部屋に召集している。

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