書く

卒業プロジェクトを始めた今年の4月から、「卒プロノート」を書いている。「卒プロノート」とは研究日誌のようなもので、所属する研究会の先輩たちがそう呼んでいたことからきている。ノートには普段のささいな気づきや、定期的に進捗を報告するプレゼンテーションで伝えきれなかったことなどを書いている。書く頻度はとくに決めておらず、だいたい週に1〜2回のペースだ。卒業プロジェクトも半ばの今読み返してみると、動画の処理がうまくいかず行き詰まった日や新しい発見をして嬉しかった日など、この4ヶ月間の軌跡が読み取れる。

小学生の頃、書き物に励んでいた時期があった。『いなくなったカメ』という実際に私の身に起こったカメの脱走事件をもとにした話や、『アリ地獄』という砂漠の王国を舞台にした数章におよぶ物語を書いた。当時、講談社出版の青い鳥文庫に夢中になっていて、自分でも書いてみたいと思ったのがきっかけだった(はやみねかおるの夢水清志郎シリーズは今でも大切に本棚に並べてある)。実際に書いてみて、頭の中に広がる世界観を言葉にすることの難しさに打ちのめされたのを覚えている。当時は、誰かに何かを伝えたいというより、どちらかというと、自分の今の思考を書き留めておきたい、それを後から読み返すと楽しいという気持ちが強かった。だから、先生に読んでもらった他に友だちや家族には見せなかった。

大学を休学していた2021年度の1年間には、絵画教室でデッサンや水彩画、油絵を習っていた。旅先で撮った写真を絵にしてみたいという漠然とした興味が始まりだった。基本的な画材の扱い方や技法の講義を受け、ベトナムのメコン川やトルコで話しかけてきたおじさん、カッパドキアで見た気球などを描いた。写真を絵にすることより、写真をじっと見つめ、何がどう映っているのかを再度認識し、紙に描き出すその過程がよかった。写真はそれ自体に映る情報を伝えるだけでなく、撮影当時の状況や前後の記憶も思い出させてくれるからだ。そして、完成した絵もまた、当時を振り返るための記録として残り続ける。

「卒プロノート」も書き物や絵画も、後から振り返るには、記録が蓄積されること、作品が仕上がることが大切だと思う。いかにほどよいエネルギーを保ちながら「卒プロノート」を書き続けるか、自分の意思で始めたものを最後までやり遂げるか。私は10歳のときからほとんど毎日、日記を書き続けているのだが、継続するには自分なりにコツをつかむことがカギになる思う。日記を始めた当初は書くのを忘れがちだったが、ベッド脇にペンと一緒に置いておき、就寝直前に書くと決めてから毎日の習慣として定着した。今ではやらないとなんだか気持ち悪い、歯磨きのような存在になっている。「書く」ことは思いのほか労力を必要とするし、時間もかかる。それでも書き続けようと思うのは、少なくとも私は、未来の私に今の新鮮な気持ちを残したいと思うからだ。

夏休みを挟んで10月からは、卒業プロジェクトも終わりに向けて動き始める。同じ映像を何度も見返すことは、飽きとの戦いでもある。しかし、数回目にして新たな発見があると、「繰り返し見たからこそだ!」と素直に嬉しくなる。今は発話や表情、身体動作、視線を文字起こししたり、試験的にアニメーション動画を作ってみたりと、いろいろな方法で分析を進めている。1年間のまとめとなる最終成果物は、主に映像を媒体とする予定だ。

そういえば、映像をおかゆと見返していたとき、「10年後に見返したら、またちがって見えるんだろうね」なんて話をした。この卒業プロジェクトは、私の個人研究であると同時に、おかゆと私2人の記録でもあるのだ。10年後の私たちがどう反応するのか、とても楽しみだ。

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