考える

「考えるな、感じろ」という至る所できく教えがわかるようで、わかっていなかった。自分の感覚以前に、頭の中の言語で考えることが先走ってしまう。誰々がこう言っていたとか、本で読んだとか、そういう客観的な意見を持ち出して「良い」「悪い」という判断に納得感を見出していた。けれど、この夏、「考えるな、感じろ」という意味がすこしわかったかもしれない。

9月、北海道洞爺湖町でちきゅう留学というイベントに運営として参加していた。25歳以下の参加者、約40名が洞爺の佐々木ファームという農園に集まり、3泊4日のキャンプを通じて寝食を共にする。佐々木ファームは、「循環農業」という特殊な農法で無農薬・無肥料で野菜を栽培する農園だ。JAを介さず、レストランや個人客に直接販売のみを行う。その経営や農法の珍しさに惹かれ、多くの人々が訪れる農家である。

美味しい野菜を収穫して食べ、土の上で寝っ転がり、夜は火を囲み、そしてゲストの話をきく。ちきゅう留学は、雄大な自然に触れながら、大地の循環や豊かさ、人のつながりについて考える催しだ。

参加者は、沖縄から北海道まで、そして高校生から社会人まで多種多様だ。幅広いバッググラウンドを持つ彼らと共にした体験は、なんとも言葉にしづらい、とても豊かな時間であった。その証に、最終日の閉会式では、全員が涙しながら別れを惜しんだ。

なぜそのような場になったのか。運営一同も振り返るたびに「よかった」というあたたかい感覚だけが残り、なかなか言葉にしづらく、もどかしい思いをしている。

現時点での私の仮説は、一次的な感情をそのまま吐き出せる安全圏がつくられていた、ということだ。美味しいなら美味しいし、楽しいなら楽しい。自然に囲まれた環境が、都市ではしづらい感情表出を可能にさせた。美しい夕日や満天の星、エネルギッシュな野菜を目の前にすると、思考は感情に追いつかない。

また、畑という環境は人と人の間に序列を生み出さない。年齢も性別も所属も関係なく、とにかく草取りや収穫など同じ作業をする。共に汗を流し、達成感を共有する。共苦共楽体験の間、さまざまな感情を共有するのだ。

よく笑い、よく泣く。そんな参加者や運営陣を見ていて、思わず私も影響された。なぜそう感じるかはさておき、感覚を受け止める間を持つようになった。私たちはまだまだ、利害関係以外の関係性を紡げるのかもしれない。そんな希望を感じる日々だった。

洞爺から帰ってすぐ、あまり生活に現実味がなかった。どこか足取りがおぼつかないような、そんな感覚だった。忙しなく大学が始まり、授業を受け始める。最初は日常生活に戻れるか、かなり不安だった。実際、洞爺から札幌に帰ってすぐ、異常な腹痛で寝込んだ。

しかし、東京に戻ると、大学の授業がかなり楽しい。授業で語られる内容が、洞爺での日々の断片に言葉を与えてくれるからだ。改革とイノベーションという授業では、資本主義の次の体制をつくる思想が必要だという話を聞いた。まさに、洞爺での日々は、新しい社会の価値観を見出す糸口だったのだと気付かされた。具体的な現場と言語がリンクすることで、思考が捗っていく。

現場は忙しい。「気づきは遅れてやってくる」ことを、現場と学問の行き来で実感している。洞爺では「感じる」をめいっぱい取り組んだ。秋学期は、その感じたことをゆっくり考えるための時間になりそうだ。

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