語る

就職活動での面接は、自分のこれまでの人生を語ることが求められる場だった。幼少期から大学生活に至るまで、成し遂げたことや挫折の経験を面接官に伝える。私も含めほとんどの人は事前に自己分析をして、最も伝えたい経験がより魅力的に伝わるような語彙を身につけて面接に臨むと思う。しかし、練りに練った言葉を思い出しながら話すよりも、思わぬ質問に対してとっさに出た返答のほうが面接官に届いたと実感できることがある。事前にある程度言葉を用意しておくと安心できる反面、その言葉を思い出して組み立てることに必死になって、相手の様子に意識が向きにくくなってしまう。多少拙い文章になってしまったとしても、伝えようとその場で必死に紡いだ生の声のほうが相手に届くのだろう。実際、オンライン面接で質問の答えを事前に考えておいた「台本」をただ読みあげているときは、自分が誰と何を話しているのか見失っていた。事前に「台本」を用意すると、その場での相手への気遣いを半ば放棄してしまうため、独りよがりなコミュニケーションになってしまう。しかし、自分の進路がかかっている緊迫感や普段あまり接さない年上の会社員と対面する緊張感を和らげ、心理的な安心をもって面接に臨むのに「台本」が役立つのも確かだ。

近年の就職活動では、「あなたの個性をありのままに語ってください」「気負うことなく自然体で面接にお越しください」と、学生の個性や自由な表現を尊重するような姿勢を示す企業が増えている。いわゆるリクルートスーツではなく、オフィスカジュアルや私服が許可された面接もある。ただ、どんなにそのような言葉をかけてもらっていても、いざ会場に行くと通されるのは無機質な会議室で、張り詰めた空気感に緊張が増すだけだった。企業から個性や自由な表現を尊重すると表明されていると安心するが、その言葉と実際の面接が乖離しているように感じる。服装や髪型といった就活生の外見への配慮だけでなく、就活生と社員が接する空間ももっとデザインする余地があるのではないだろうか。

卒業プロジェクトで記録した友人とのワンピース制作の映像を見ているなかで、ゆるい会話がずっと続いていることに気づいた。アニメの話の途中で突然作業に関する話を始め、ひと段落すると自然とまたアニメの話に戻っている場面があったり、友人の発話に対して返事をするときとしないときがあったりしている。また、私が自分の将来についてひたすら語っている場面もあった。相手との会話に無頓着なわけではなく、「手を動かしながら」という状況が、話しかけるタイミングや話の終わらせかたをそこまで気にしなくていい、ゆるい会話を続けられる空間にさせていたのだと思う(もちろん、私と友人の親密さも大きく関係している)。

「いっそのこと、面接をしながらワンピースを一緒につくってみたら…」と想像してしまうほどに、私が経験した面接のほとんどは窮屈なものだった。企業で働く社員を選ぶ重要な場であるため、ときに服装や会場などの形式は大切だし、社風に沿った採用活動がされるのが自然だ。しかし、社員と学生が対面する空間についてもっと考えられていてもいいと思う。自分を語ろうと意気込むより、思わず語り出してしまうくらいの空間があったら、きっと就職活動は私たちの心身にとってより優しいものになるはずだ。無理に語らなくても、キャッチボールのような短い会話のやりとりからその人を知ることだってできる。突然ワンピースをつくるのは非現実的だが、なにか共同作業をしながらゆるい会話をしてみる数十分間。就活生を知るのに時間はかかるだろうけれど、そんな面接があってもいいと思う。

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