「怪我の功名」

Ryunosuke Honda
たぶん屋日誌
Published in
Feb 7, 2022

ようやっと、書く内容が定まった感じがする。
書き出しが決まらないまま「うーんこれならわざわざ人様に晒すほどのものでもないな」と、あってないような自制が働き、結果として数カ月(恐らく5カ月くらいここで何も書いて出してなかったのではないか)の沈黙が生まれた。
こうやって書き出せたのも、いわゆる「怪我の功名」ってやつなのかもしれない。

まあそんな前置きはいい。

書き出しはこうだ。
「夜道を歩いているとまっすぐの世界が突如として90度横に倒れた。三脚カメラが倒れたときのような映像だった」

世が流行病のせいで何度目かの禁欲期間に入ったばかりの頃だ。
松の内もすっかり明け、屠蘇の味いずこか、いつかやってみたし恋人と百人一首、かるたに塗りたくるはアロンアルファかマスタードか、鬼が出るか蛇が出るか、ジャガー駆るか、夜のハイウェイ。

そんなわけでいい気分で夜道を歩いていた。いつも通り、ポケットに両手を突っ込み、死に体とされたGUCCIに息を吹き返したトムフォードがオーガナイズしたショーで流れていた激烈にノリのいいヒップホップを聴きながら、ツルツルの氷の上を、だ。

そこで冒頭の書き出しに戻る。

それにしても、近所のコンビニの駐車場はなんであんなに滑るんだろうか。そして、なぜかくまでに僕は運動音痴なのか。

ポケットに手を突っ込んでいたのは既に地獄へ向かって両手を上げてゴールテープを切らんとしていたのかもしれないが、問題はその後だ。一切の受け身もとれずに、氷の上に体を打った。
体の記憶によれば、⑴右膝⑵左前頭部⑶左腰⑷左脇腹、おおよそこの順番で氷に打ち付けたようだ。

そしてその夜から1週間ほど経った。

体はまだ痛いままだ。特に脇腹は違和感がずっととれないままだ。
日によっては、くしゃみをしたり笑ったりするだけでも、痛みが響くような感じがする。

かくして、新たな禁欲がここに加わった。すなわち笑いの自粛だ。
それまではランジャタイや永野のネタを見ながらケタケタ笑ってご機嫌に暮らしていたが、それも全て取りやめだ。痛がりながらまで笑う必要はどこにもない。

僕はしばらく手を付けていなかった長編小説を読むことにした。そして1㎜も笑わせてくれないと安心して読めそうな思想書とも格闘を始めた。

そうした日々を数日続けた。不機嫌に毎日を生き、1日を笑わずに終えられたことを神に感謝し、人類が死に絶えた後の地球に倫理は存在するかについて思いを巡らせた。

少し容態がよくなったかと思われたところで、スーパーでまあまあいい値段のステーキ肉とイタリア・バローロの赤を買って、家で快気祝いも兼ねた食い飲みをしていたら、肉が完全に生焼けで(食べている最中はうまいうまい、火の通りもレアそのものだうまくいったな、アルミホイルの余熱調理も功を奏しておるわおるわ、ほら見たかこの愚民どもよ)数時間後には貴族気分も完全に吹っ飛び、ベッドを這いずり回っていた。

これだから肉は嫌いなのだ。しばらく肉豆腐が食いたい。

体調不良のせいなのか、怪我のせいなのか、いまいち判然としないが腹の周りは痛いままだ。

笑い、酒、人とのおしゃべりがない生活。
あるのは、長編小説と思想書とケネディ暗殺の謎を追うドキュメンタリー番組といくつかのギャング映画(例えば『スカーフェイス』あれは酒を飲みながら観るのに最も適した映画で実際にバーで無音上映されたりポスター掲示されていることも多い作品だが、何も考えたくないときに観るのに2番目に適している)とコーヒー、タバコとともに生きている。

何度でもこの感慨を覚えざるを得ないが、世界はまことに不思議だ。想像のつかないことが、想像のつかないタイミングから、想像もつかない角度からやってくるのだ。

一連の話が出そろったところで、近所でタバコが吸えるよく行く喫茶店でママに怪我の話をひと通りした。なんなら運動神経の悪さを強調するために「バッティングセンターで20球全球を全力で空振りして逃げ帰ってきた」という話を前置きにしてから、「いや、それでですね。こないだほんっと恥ずかしいことがありまして。今からする話そんなおおごとじゃないのでほんとに心配して頂かなくて大丈夫なんですが」と言って、くだんの怪我話を披露した。するとママは本当に心配せずに「本田さんの話っていっつも面白いですね」とケタケタ笑っているだけだった。

いや、「心配しないでください」は「心配してください、慰めてください」の意味やん。なぁ!?分かってんかな。分かってスルーしてはんねやったら、意地悪すぎん?ほんまなぁ頼むわぁ。勇気出してダサエピソード披露して、こっちが「いやほんまに大丈夫ですから、大丈夫って云ったやないですか、病院とかそういうんじゃないんで!」と必死で言い訳しなあかんくなるくらい心配してよ。

でも、タバコ吸えるし、何よりコーヒーもカレーもおいしいし、ママは優しいから、これからも行く以外の未来はないんやけど。

怪我して笑いとれたら、それが功名っちゅうんやないんけ。

さて、人類が滅びた後の地球の倫理についてまだまだ考えねば。誰か僕をどこかに連れて行って。なるべくこの小難しい地上から離れた場所に。

2022/02/08

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Ryunosuke Honda
たぶん屋日誌

「道」のつく日本唯一の地域に移住。蓴菜、オクラ甲乙付けがたし。 対面でお話する時、ポテチ成分談義の話題がお好き。