「春の風」
Published in
May 2, 2021
「朝焼けから夕暮れの距離より、夕暮れから朝焼けまでの方が近いんだよ」
そう教えてくれたあなたと歩いた、橙色の街灯に照らされた水面に浮かぶ桜。
水辺の淵へと花びらを追いやる嵐。
あなたが眠りについたのは、空が明るくなる一歩前のこと。
色のない暗闇で鍵盤をまさぐると、高い音が聞こえてきた。
鍵盤の右側ばかりをウロウロと彷徨うシューベルトの魂。
眠りから這い出た虫たちの気配、街に流れたならビルボードの電飾も流しの上の蛍光管も音を立てる。
ひやりと冷たい眼鏡のフレームは朝。
飲み込んだ牡蠣の殻の欠片はどこへ。
朝焼けと夕焼けの違いを教えてくれた人はもういない。
2021/05/02