「移動祝祭日」

Ryunosuke Honda
たぶん屋日誌
Published in
Jun 29, 2021

仕事と休みを2日1セットで繰り返す1週間があった夏の日々のことだ。

こまめな水分補給。インターバル走。
いや、あるいは、平泳ぎのように忙しなく二層を行き来する日々。仕事、休み、どちらが水の中なんだろう。水中にいると、隣のコースを泳いでいくスイマーの気配もホイッスルも遠のいてく。

そんな1週間のある休日前の夜、半年ぶりにばったり会った人とお酒を飲みに行った。夏至を過ぎたばかりで、外はまだまだ明るい。「ほら見てください、まだ外明るいですよ、やばくないですか」と僕は何度も扉のすき間を指さし、2人でパイントサイズのビールを流し込み、夕暮れを確かめ合った。
その時にふと「今仕事と休みが交互に続いてるんですよね、こんなのあんまりなくないですか」と話してみた。「それって要はさ、金曜と日曜のどちらかが毎日あるってことじゃないの?」と答えが返ってきた。
そっか。華金フィーバー、サザエさん症候群が2日おきにやってくる日々なんだ。その時にまだ読んでいなかった「移動祝祭日」という本のタイトルが思い浮かんだ。

そんな1週間のある休日の昼過ぎ、海辺の街で映画を観たい気分に襲われた。以前から気になってた苫小牧のミニシアターまで出かけてみようかな。内陸の帯広から港湾都市・苫小牧まで車で3時間以上。高速を使えば2時間台で行けるみたいだけど、そこまでして行きたくない。移動はゆっくり、地道に限る。気になる映画も見つかった。夕方6時半から始まる映画なら間に合う。でも明日は仕事。遅くとも朝には家に戻ってないといけない。どうしようか。遅めの昼ご飯を家で食べながら考え考え、とりあえず車を走らせてから考えよう、若いんだしと思った。こういうときに若いって、いい言い訳になることに気付いた。

知らない街に車を停めて立ち尽くす。ミニシアターは1階で、その真上にボーリング場があった。映画までの時間、知らない街の上を歩く。商店街に立ち並ぶバル、スナックのビル。まだ開店前の街。そういえば車で来たからお酒は飲めないんだった。残念。かなり落ち込んだ。
そして、映画。よかった。

映画で気が大きくなって、普段ならそんなこと絶対にしないけど、映画館の支配人(ひとりで映写機セットしたりチケット販売してるおじいさん)に「すいません、僕ここ初めてなんですけどこれから食べに行けるおいしいお店ってありますか」と聞いてみた。支配人は「えぇそうですね」としばし思案した。沈黙の後の答えは「この近くにイオンがあるんです」と。「うん、イオンに行って下さい。そこに行ったら何でもありますから」と。僕は「はい、分かりました。イオンですね、初めてなので行ってみます」と快活に返事した。

駐車場に歩いて行くまでの間、あぁ絶対若いと思って舐められたよなぁとか、めんどくせぇから不親切にあえて答えてやろうみたいな根性してたんだろうなとか、何でも聞いたら答えると思い上がるな小僧とか思われたんだろうなぁとか、苛立ってたけど、親父の云うとおりにしてやらあ!という気分が勝り、本当にイオンに行った。夜9時ごろでフードコートは閉まっていて、何軒かのレストランはラストオーダー間近だった。その中からサイゼリヤに入った。

サイゼリヤなんて何年ぶりだろう。中学生の頃、よく部活の試合後に仲間と一緒に少ない小遣い使ってドリンクバー飲みに行ったなという思い出がよみがえってきた。帯広にはサイゼリヤがなかったから、店自体を見たのも久しぶり。メニューを開くと懐かしさが一気に押し寄せてきた。

結局、ミラノ風ドリアと、羊肉の串焼き、あと鶏肉のシーザーサラダを頼んだ。中でもミラノ風ドリアは中学生の頃安くてよく食べてたな。
それで3品が同時に運ばれてきて、ようやく、昼から約8時間ぶりの食事にありついた。お腹が減っていたせいか、どれもとてもおいしい。家の近くにあったら、また行きたいな、でもどうだろう懐かしさがおいしさを増幅させてるだけなのかなとか、ぼんやり考えた。驚くべきことにミラノ風ドリアは中学生の時よりも格段においしくなっていた。中学生以降、おいしいものをたくさん食べてきたつもりでいたけど、お世辞にも高級とも云えない、こんなカジュアルな料理がおいしく感じるなんて、とちょっとびっくりした。
もしかしてサイゼリヤの企業努力でここ10年ほどの間に味の大幅な飛躍があったのか。ともあれ、子どもの頃苦手だった珍味が酒を飲めるようになって好きになったとかっていう話はよくあるけど、子どもの頃よく食べていた安いものが大人になってもっとおいしく感じるのって新鮮な経験だな、とか考えてるうちに、映画館の親父のことはもう忘れていた。

そんな1週間のある仕事の日、こないだのミラノ風ドリアの件を大学時代の友人に話してみたくなってLINEしてみた。友人は「分かる。安いからではなく、自分の稼いだお金で選んで食べたものは子どもの頃とは違う味がするよね」といった意のことを書いていた。
僕はサイゼリヤの企業努力とかそんな根拠のない宙に浮いたことばかり考えていたけど、もっと私的な体験として捉えられるんだと、ちょっとびっくりした。そして素敵だな、と思った。そうやって真っすぐ捉えられる目をどこかに置いてきちゃったかな、とも思った。

そんな1週間のある仕事の日、仕事を終えて1人で初めての店ばかりに飲みに行くことにした。いつもの街が、知らない店に入るとまた違って見えることがある、それを体験してみたかったのだ。知らない店でおいしかったです、また来ますと店を後にし、久々にラブホテルに行ってみようと思った。時々、家に飽きたとき、文庫本1冊と必要なお金だけを持って行って時間をつぶすのだ。家にないテレビをつけて、しばしザッピングした後、持ってきていた本を開く。アメリカで実際にあった、将来を嘱望された20代の青年がトルストイらの禁欲主義に傾倒し、所持金を燃やして放浪の旅に出て数年後遺体になって発見された事件を描いたドキュメンタリー。夜中にひとり、見知らぬ部屋で本を読んでいると、誰も存在を知らない穴に落ち続けているような気分になった。「冷蔵庫内のドリンクはサービス」とあり、缶のウーロン茶を持って家路に就いた。

外は霧が立ちこめていた。街頭から発せられた光の筋が、霧の通り道をも指し示している。明日はきっと曇りだな、夏もいったん小休止というわけか。暑い日より、どんより曇ってる日の方が煙草がおいしいんだし、それも悪くない気がした。

家に帰るとほっとした。たった数時間で旅行から帰ってきたみたいな気分になるからこういうの好きなんだろうな。
時計は、金曜日から日曜日になってしばらく過ぎていた。

2021/06/29

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Ryunosuke Honda
たぶん屋日誌

「道」のつく日本唯一の地域に移住。蓴菜、オクラ甲乙付けがたし。 対面でお話する時、ポテチ成分談義の話題がお好き。