「793日戦争」
それは2年を超える戦いだった。最初から勝ち目はなかった。
戦いの最後、色んな理由をこじつけて自らを納得させようとしたが、要するに僕は負けたのだ。
戦いは、流行病が騒がれ始めた頃に始まり、流行病の只中に終わった。
ラーメン。
僕が、最大限に愛し、そして軽蔑する料理。
2020年1月、年に一度の帰省で北海道から地元の兵庫に帰った時に戦いが始まった。すなわちラーメンの「禁食」だ。
あまりにも崇高で野蛮な、地元のあの店の一杯。
その一杯を最高のコンディションで食すために、次に帰省する(当初は1年後を想定していた)時までラーメンを断つ。
繰り返す。
戦いは2020年1月19日に始まり、2022年3月22日深夜に終わった。
これから2年に及ぶ負け戦を、読者諸賢へ報告する。
ラーメン店の名前は「しぇからしか」(通称「しぇか」)。博多弁で「黙ってろ」あるいは「うるさい」という意味らしい。しぇからしかの豚骨スープのにおいはかなり強烈で、恐らく半数の人間が店外のダクトから流れるにおいだけで挫折する。
しぇからしかは、通っていた学校の最寄り駅にある。
中学生ごろから通い始め、成長とともにさまざまなトッピングを覚え、大学を卒業する頃には「ラーメン・バリ固(麺の固さ)、ニンニクトッピングで」というシンプルな注文に落ち着いた。
半数の人間が食べる前から店の前で挫折する一杯。
ラーメンという食べ物にセオリーなど通用しない。無化調が正しい選択かも分からないのだ。誰かにとっての「最高の一杯」が、別な誰かにとっての「最低の一杯」になり得るのだから。僕はその教訓をしぇからしかから得た。
だからこそ、僕はラーメンを最大限に愛し、そして軽蔑している。
2020年1月と云えば、ちょうど世が流行病について騒ぎ始めた頃だった。
その頃の僕は(恐らくほとんどの人も)流行病を対岸の火事くらいに、スルーしていた。
だからこそ、僕は無邪気に、次に帰省する時まで(すなわち2021年1月まで)およそ1年間ラーメンを我慢してみるかと決断できたわけだ。
だが、その後は賢明なる読者の皆様がご存じの通りだ。
職場と自宅以外の外出すら躊躇われるような時期もあったのだ。当然、帰省どころの話ではなくなった。結果として今日に至るまで2020年1月以来、地元に帰っていない。
さてその間、僕は極めて孤独で馬鹿げた戦いを強いられていた。ラーメンを食べないことに苦痛がつきまとった。
夏の昼間、窓全開で車を走らせていたら不意に飛び込んでくるスープの香り。
冬の居酒屋、鍋のシメに供される中華麺。
新規開店するラーメン店の取材中、「味が分からないと記事は書けませんから」と店主に促されるまま大急ぎで啜った中華そば。※僕はあくまで「そば」を口にしただけに過ぎず、ラーメンの禁食とは一切関わりがない点をここに強調しておく。
そのような戦いを毎日繰り返してきた。誰にも理解されない孤独な戦い。
孤独な戦いとはいえ、僕の固い決意を尊重する(あるいは呆れながらも黙認する)数少ない人たちがいたことも、ここに記す必要があるだろう。
飲み仲間たちには即座に「おれは帰省するまでラーメンを食べないから、その点よろしく」と周知した。ほかにも馴染みの店数軒でも「僕にラーメンを出さないでください」と念押しした。
そのうちの1軒の店主は、僕の挑戦に大変理解のある人だった。
その店は、店主のその日の気分でメニューが決まるという、メニュー表の存在しない酒場。店主が酔いつぶれると、たとえ土曜日という飲食業界の一番の稼ぎ時であっても容赦なく休むこともあるというクセだらけの店だ。ただ料理はほとんど同じものが供されることはなく、そのどれもがおいしい。店主は僕の挑戦の話を聞くと「龍之介くんの思いはよく分かった」とそれ以上の無駄口をたたかず、たまに店でオンリストするラーメンを僕には絶対に供さなかった。
ぼくは泥酔した勢いでよく店主に「じゃあシメにラーメン一杯ください笑」と注文すると「龍之介君。自分が決めたことなんだからダメだ」と決して提供しない。そうしたミニコントすら成り立つ信頼関係が確かにあった。
戦いの終わりは突然やってきた。
2022年3月22日、1月に始まった流行病の蔓延に伴う飲食店の時短営業が解除された日のことだ。
僕は友人と仕事終わり、くだんの店で久々のゆったりとした飲食を楽しんでいた。食もそうだが、酒も進み、ぼくはいつものあの台詞を店主に口にした。
「じゃあシメにラーメン一杯ください笑」
すると店主は、一瞬の間を置いてから「わかった、これから用意するわ」と。
僕は一瞬耳を疑ったが、次の瞬間には「こうして戦いは終わるのだな」と観念した。吐いた唾を飲むことはできず、覆水は盆に返らないのだ。
読者諸賢におかれてはにわかに信じがたいことかもしれないが、実はこのラーメンを食したことを僕は覚えていない。確かに酔っていたが、それ以外の記憶はほぼ完璧にある。ラーメンが運ばれた、次の記憶は器が空っぽになっているシーンなのだ。味については記憶から消えてしまったようだ。
ただ店にいた友人や店主、その他関係者の話を総合すると、僕はラーメンを口にしながら泣いていたらしい。あとは大げさにうまいうまいなどと騒ぐこともなく、黙って完食していたようだ。
日付は2022年3月22日から23日へと変わっていた。
以上が、読者諸賢への戦いの報告だ。
僕はいまだに店主からなぜあの時にラーメンを供したのか理由を聞けずにいる。もはや聞くのも野暮だから、聞くこともないだろうが。
あの夜以降のことは云うまでもないだろう。あらゆるラーメン店巡りが復活しただけのことだ。
僕は今、チャックが取れたズボン、のようだ。
心が行き場を探している。
ラーメンは罪深く野蛮で最低で、人を勤勉にも怠惰にもさせ、味の正しさを巡る論争を度々起こす。そして最高の料理だ。
平野紗季子、平松洋子、田中康夫、今は亡き池波正太郎などなど数え切れないほどの食にまつわる名文を残してきた神々たちよ。どうか罪深き我を許したまえ。
2022/04/23