何事も、下手だったんですよ。

といかず
といてら
Published in
7 min readApr 8, 2018

小学校のときから、あまり成績は良くなかったですね。
九九もうまく覚えられなくて、親から叱られまくった嫌な想い出があります。

自分ではそんなに悪い事をしているつもりはないのですが、廊下によく立たされていていました。
結構問題児だったようです。

弟が、転校して挨拶に行った時、
「二島小学校から転校してきました、小野です」 「あーあの小野さんね」と言われて、他の学校まで鳴り響いている悪さに、弟が泣いてしまったと親から聞かされました。

中学、高校と進学し、自分では人並みには勉強を頑張っていたつもりだなんですが、成績はまったく上がりませんでした。

今思えば、勉強の仕方がまったく間違っていたのでしょうね。

そんな状態なので、現役での大学受験は、受験した所は全滅。
浪人となりました。
高いお金を出してもらって、予備校に通うことになるのですが、できない自分に嫌気がさして授業にはほとんど出ませんでした。
麻雀屋やパチンコ屋に入り浸っていましたね。
浪人も後半に差し掛かり、もはや、予備校の授業にもついていけない状態でした。

8月過ぎた頃、さすがに、これではまずいよなと。
これからできることはなにか?
参考書を一冊やるくらいしかできないなと。
1冊しっかりやれば大丈夫みたいなことを受験勉強ではよく言われていたので、とりあえずそれでやってみることに。
単に自分に一番都合の良いやり方を選んだだけ。
できない問題がなくなるまで、繰り返しやればなんとかなるかもと、やり始めました。

自分のやっている事を俯瞰してみる

最初は答えを見てやり方を覚えようとしたのですが、繰り返しやっても、まったく自分の中に残っていないのです。
そこで、問題をやるときに、まず、10分間は自分なりに考えてみようと。 自分であーでもないこーでもないと思いつく公式を書き出していく作業を続けていきました。

そのうちに、書き出した公式で次の公式を気づき、その公式の流れで回答につながるようになってきました。
そうなると、面白くなってくるんですね。
問題を読むと、これとこれを使えばなんとかなるかな? とりあえず、その周辺を書き出すことで、次のヒントが見えるようになてきました。

あー数学や物理ってこうなんだ。
段階的に分解をしていけば良いんだと。

回答も1つではないということがわかると、いろいろな解き方が見えてくるようになりました。

こんなことは、教わっていたらわからなかったのかもしれません。

ただあまり、学び方に対して意識的になっているわけではないので、その時の大切な要素は、自分ではわかっていないのです。

自分で工夫しないものは身につかない

次の年は運良く第一志望の航空大学校に合格しました。
受験勉強のうまく行った学習のプロセスが意識的にはできていないので、やはりダメっこは治りません。 いつもできの悪い方に入っていました。 良い子悪い子普通の子の、悪い子の役回りでした。

航空大学校は、1年間の座学のあと、最初の実機訓練は帯広空港から始まります。
20時間くらい飛んだ時に、 実機の訓練を継続するかどうかを見極めるチェックがあるのです。
私はそのチェックの前に、 担当教官から 「これ以上、訓練を続けても無理だから、荷物をまとめて帰れ」と言われる始末でした。

不景気の影響で、定員を絞るため、学生を落とすように決まっていたのです。 7名もの同期がチェックを落ちて、辞めさせられて行きました。
私はたまたま、その時、大きなミスがなく通ってしまいました。

人間の運命なんて自分の努力ではどうしようもないこともあるのです。

この航空大学校の訓練の時も、自分で考えるということを忘れ、「言われたこと」を一生懸命にやろうとしていました。


やることばかりに気を取られて、飛行機動きを感じることや、やったことの結果を感じることがまったく出来ていなかったのです。
感じないので気づかない、気づかないのでうまく操縦できないということが起こっていることに気づいていなかったのです。

それでも、訓練では、言われたことを繰り返し繰り返し、一生懸命にやればなんとか形にはなってきます。

できない自分を良くするためには、この「繰り返しやればうまくいく」という前提が刷り込まれて行きました。

ライセンスを取得してパイロットにはなれたのですが、心の奥底にいつもダメ出しをされる自信のない自分をいつも感じていました。

ダメな自分の指摘を受け入れた時、ダメになる

機長になっても、その奥底の自分は変わらずにいました。
ある時、突然何故か、自分の判断に自信がなくなってきました。
心の中に、ダメな自分がムクムクと顔を出してくるのです。
人間そうなると、人の意見に頼って、人の言うことを素直に聞いてしまうようになるのです。
ますます、人の意見と自分の考えを比べて、自分の判断や行動に疑問が湧いてきてしまいます。
そして、なにも踏み出せなくなってくるのです。


何もできなくなっている。
踏み出せない自分を感じて、また人の意見ややり方を探し回っているうちに、ますますできなくなってきて最後は、着陸さえも自信がなくなってきてしまいました。

もう機長をやめようと思って時期もありました。

私の後輩が、子会社で小さな飛行機にかわる訓練のときにも、教官の言うことを素直に聞いてしまい、訓練に失敗して帰ってくる人が多くいました。
一度失敗すると立ち直れなくなって、会社を辞めた人も何人も出てしまいました。

訓練でダメ出しばかりされてそれを素直に聞いていると、本当に自分をダメだと思うようになってしまうのです。

できないところやダメなところは、見えていない、感じる力がまだ育っていないところなので、そこに意識をむけても何も見えてこないのです。

人間は、なにかに一生懸命に集中して学ぼうとしているときに、できない自分を確認する言葉が入ってしまうと暗示として入ってしまいます。

自分の学び方に気づいていないと、人の言うことを聞いてしまい、自分で成長をできなくしていまっています。

すこしでもうまくできたことに意識を向けて、うまくいった自分を認めて、
そこから、なぜできたのか?どうしたらうまくいくのか?
そこから出発することが大切です。

どのように学ぶかを俯瞰してみる

物事の習得は、ある型みたいなもの教えてもらうととても楽です。
でもそれを教わってしまうと、もう考えなくなってしまいます。
ある程度うまくいくので、そこから抜け出そうととしなくなり、そこから離れられなくなってしまいます。

教わったことを、自分で考えた方法で、やってみること、 人から言われたやり方をそのままやらないことが、大切かもしれません。

何かを学ぶとき、自分がやっていなかったやり方を自分なりに試してみて、変化を感じる。
違う視点に気づかされたら、そこからの眺めを感じてみる。
そして起こっていることの結果を目の当たりにして、次どうするを考える。


自分のやっている事、その結果を俯瞰してみて、その変化から、自分の行動ややり方を考えてやってみる。

これで、その習慣は一生のものとなります。

それが、人に教わるということかもしれません。

もっと、具体的な行動に落とし込むと

「それはほんとうか?」
「何のためにやってるの?」
「なぜそれをやるの?」
「なぜそのやり方がいいの?」

このような「問い」を立てることで、自然に俯瞰してみることに繋がって行きます。

何かを学ぶときに大切なことは、何を学ぶかではなく、
どう学んでいるかという自分の学び方に意識を向けることの方がとても大切になるのです。

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といかず
といてら

人の学習について学び始めると、還暦もとうに過ぎているのに、もっと自分を高めることができると気づいた。ヘリコプターから小型ジェット、新聞社の取材飛行を経験して、東亜国内航空へ、最後はJALで翼をたたみました。新しい人生を歩むために自分の学習能力を高めていきたいと思っています。