学びには癒しがいる

といかず
といてら
Published in
Jan 21, 2021

失敗を恐れると成長を止めてしまう

失敗することは悪いことである。
失敗する人間は努力が足りない。
結果がうまくいっていない人間は努力していないからだ。

試験、試験で優劣をつけられて、常に正解を求められてきた自分の中に、「失敗は良くないんだ」という前提を知らず知らず刷り込まれていないだろうか?

失敗をしたらダメだという恐怖感に取り憑かれてしまうと、
それから逃げるために、自分の意図しない思考や、行動を無意識にとってしまいます。
失敗しないようにと思えば思うほど、慣れ親しんだ成功体験のある同じこと繰り返してしまう。
当然、変化している状況に対応できずに、自分の意図する結果とは違うことになってしまう。
結果が意図しないことになるので、さらにその恐怖を増幅させてしまうことになります。

新しいことへのチャレンジや、自分なりの工夫、さらに良くしようとする気持ちが削がれてしまい、成長を自ら止めてしまう。

アインシュタインも言っています。
「同じことを繰り返しながら、
違う結果を望むこと、それを狂気という。」

学びは失敗の結果

人が学習をして成長するためには、必ず失敗、自分の期待する結果に沿わない状態を体験する必要があります。
「わかった」、「できた」と定義した途端、そこで成長や、学習は終了してしまいます。

私たちは学び、成長するために、未知の状態にチャレンジし、失敗する権利があるのです。
と言っても、失敗は辛い気持ちも伴いますよね。

辛いからこそ、「失敗がなければ学べない」と同時に、
そこには、同時に、癒しがなければ、人は折れてしまいます。

癒しとは回復過程における自分の中にある可能性の活用です。
具体的には、本人の中にある肯定的な属性を強調してそれを徐々に増幅させていくプロセス。

自分の持っている生活体験や、どのように学んできたかということで定義できる主観的なものなので、他の人がうまくいった行動をとってもうまくいかない。
標準化して強要できるものではなく、あくまでも個人的なものであるということです。

「自分は大丈夫」「肯定的に考えよう」「失敗は成功の母である」

といった概念ではなく、自分の中にある経験や体験の再結合して新しい可能性を作り出すプロセスです。
つまり小さな可能性を見つけて、実際にやってみるということ。

癒しのためには脆さや限界を受け入れる

小さな可能性を体験することで、自分の未来の可能性を信じる力、立ち直る力、が生まれてきます。

自分はこうなりたいという自分の本当に望む期待する結果を理解し、自分自身の限界や脆さを受け入れることです。
今は、「これはできないな。」「ここまでやると辛い。」「これは無理だな。」を受け入れる。

これらを受け入れることにより、無理なことや、努力、頑張るなんてことから遠いところにある自分の内的な可能性を活かそうとする意欲が生じてきます。

自分の中の、肯定的な属性を注目し、強調して、それを徐々に増幅させていくプロセスに意識を向けることです。

育てる側の人も、新たな可能性を認識できるよう手助けを行う責任があります。

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といかず
といてら

人の学習について学び始めると、還暦もとうに過ぎているのに、もっと自分を高めることができると気づいた。ヘリコプターから小型ジェット、新聞社の取材飛行を経験して、東亜国内航空へ、最後はJALで翼をたたみました。新しい人生を歩むために自分の学習能力を高めていきたいと思っています。