潰される前に考えよう

といかず
といてら
Published in
Jan 18, 2021

人の失敗を嫌な言い方で指摘をする人がいますよね。
私も、人に教える立場に立っていた時は、そんな嫌な人間だったように思います。

「こいつまた失敗するぞ。」
「やっぱり気づいてないよな。」
「ほら、またやったよ。」

「他の人はそんなことしないよ。」
「なんでいつまでも同じことを繰り返すんだ?」

「なんでこんな事するかな〜?」
「こんなこともできなのか?」

言葉には出さなかったとしても、いかにもという表情と態度をされると、うまくできなかったと思っている人にとっては、自分を責られている感じてしまいます。

たぶんその言葉や態度の後には、こんな質問が飛んできます。

「なんでこれをやらないの?」
「なぜ、これをしなかったの?」
「なんで、マニュアルがまもれないの?」

これは質問として聞いているのではなく、強制をしようとしてるのです。
このWhy Notの質問をしてくる人は、ダブルバインド的なことをしていることが多くなっているように思います。

ダブルバインドとは、2つの矛盾する内容を含んだ質問をすることで、相手にストレスを与える状態です。

例えばこんな感じの質問です。

「マニュアルにはどう書いてあるかは知っているよね。言ってみて、」

当然、急にふられるのでしどろもどろになります。
言えないと、

「こんな事も覚えていないの?」

ちゃんと答えられたとしても、

「なんでわかっているのにできないの?」
「なんで知っているのにやらないの?」

他にはこんな感じです。

「何でも好きなようにやっていいよ。」
そのように言った端から、指示を与えてしまう。

「気づいたことはどんどん言って。」
気軽に発言すると、

「もう少し考えてから発言しろよ。」

矛盾した2つ以上のメッセージを受け取るため、受け手側は混乱・緊張してしまいます。

次第に自分の判断がすべて間違っているように感じてきて、身動きが取れなくなります。
自分の自信や主体性がどんどんどこかに飛んでいってしまうように感じてしまいます。

最終的には、自分で考えることができなくなってしまいまい、何もアタマに浮かばない、何を言っていいかもわからない状態になります。

結果として、「より良い成果を出す」という動きではなく「怒られないように」という動きになってしまうためにパフォーマンスが著しく低下してしまうのです。

「自分はなんでダメなんだ」と責める前に、
「自分はこんなことで追い詰められていないか?」を問うことが大切です。

相手の落ち度を責める人は、
他者を貶めることで、自己承認欲求をみたしたいという欲望があります。
他者を貶めることで、自分の鬱憤を晴らしているのかもしれません。
認められていないことのへの恐怖から逃れたいという欲求から出ているのかも知れません。

こんなやつのために、自分の人生の可能性を潰されるのはたまらないですよね。

責められて、追い詰められた時は、自分が失敗しているので、落ち込むとは思います。
その時は、無理に頑張ろうとしなくていいです。
落ち込むときは落ち込んでしまうのですから仕方がありません。

でも、自分の「こうなりたいな」という未来に向けて意識が向いてきたら、
「次、どうしよう?」
「できることは何?」

小さな、小さなことでもいいので、やってみましょう。
思わぬ成功が、また次の成功を呼び寄せてきます。

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といかず
といてら

人の学習について学び始めると、還暦もとうに過ぎているのに、もっと自分を高めることができると気づいた。ヘリコプターから小型ジェット、新聞社の取材飛行を経験して、東亜国内航空へ、最後はJALで翼をたたみました。新しい人生を歩むために自分の学習能力を高めていきたいと思っています。