察してほしい人間、というのは、共感がほしいから察してほしいのであって、そういう人には意見の差異を楽しむ能力は備わっていないので、ただただ意見に共感するしかない。それに意見を求めていることは稀で、ほしいのは同調である。

つまり意見をもらい差異を楽しむ人間とは根本的に違うので、この場合譲歩できるのは意見を受け入れないことすら1意見として楽しむことができる、差異を楽しむ側の人間なので、どうにか対策するのは義務とも言える。人生を楽しんじゃってることへの代償なのかもしれんね。

どちらが優れてるとか良いとかはないと思うんだけど、やっぱりわかり合いにくいのかもしれんねえ。