剥落止めと傷の手当て
古い仏像の修復をしている。
護摩焚きの影響なのか、繰り返されてきた木自身の収縮と膨張のせいなのか、塗料の成分の劣化か、お像の肌はあちこちがめくれ上がり、触れるとポロポロ剥がれ落ちそうである。
「剥落止め」とは、仏像を修復する際の一つの工程で、この剥がれ落ちそうな肌を本体に固着させることを言う。仏像の肌とは、木地を彩る塗料や漆のこと。
これが人体なら、さぞかしヒリヒリと痛むだろうと思う。ほんの少し体を動かすことさえ辛いに違いない。
でも、これは生の木ではなく製材された木、ましてや人体でもないから、肌を癒すための機能もないし、痛みを訴えることもない(御霊抜きしているし…)。
仏像は信仰を受け止め、見る人と感応し、仏教の教えやそのエッセンスを伝えるお役目があるが、こうした像容を損なう傷みはその機能を十分に発揮できないということで、メンテナンスを要する。
そこで、仏師や仏像修復師にお声がかかる。
お像の埃を取り除くと、一層お像の肌の傷みが目立ってくる。
人間でいうと、肌の乾燥はもとより、潰瘍や褥瘡があちこちにある状態で痛々しい。
それだけ、長い年月、多くの人の祈りや願いを受け止めてこられたのだなぁと、不遜な心ではあるけれどそんな思いがつい出てきてしまう。
そんな工房の中は、さながら病院の処置室のよう。
自然と、看護師をしていた頃のような手つきになる。白衣の代わりにエプロンをし、注射針をつけた複数の液体を手に、腰や背中を痛めないためボディメカニクスを密かに使う。
乾燥した肌にアルコールを含ませ、固着する液を染み渡らせる。
ゆっくりと優しく竹べらで押さえ、余分な液を取り除く。
つい、「態勢はお辛くないか?」など心配が出てくるが、お相手が仏像だったことを思い出し苦笑い。
そんな単調な作業の繰り返しのうち、木肌が息を吹き返したように、次第に生き生きとしてくる。
こちらまで、深呼吸ができるようになる。
まだまだ、修復は始まったばかり。
これから100年、200年先も人の祈りや願いを受け止めていくお姿を思い浮かべつつ、この仏像の病院で時間と空間も忘れるようなときを過ごしている。