庭木で継がれた右手

仏像修復ー世代を超えて繋ぐ光景

吉田沙織 Saori Yoshida
よしだ造佛所
4 min readJul 13, 2016

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2010年に修復した毘沙門天

これは、私たちが四国で出会ったお像とお寺の話です。

おおらかなご住職家族との出会い

私たち夫婦は、丘の上の墓地を目指していました。祖母が亡くなってから2ヶ月後のこと。台風銀座と呼ばれる地域でも、類を見ないほどの大型台風のあとでした。

幾年も嵐に洗われ、びっしりと苔に覆われた石段が続きます。どこから現れたのか、何匹ものサワガニが行き交い、その合間を縫うように足を運びました。

小さな港を見下ろすそのお寺には、ご住職と大奥様、若奥様、そして人懐こい猫が住んでいました。

大奥様は93歳。遍路の町に嫁いで以来、70年近い歳月をこの丘の上で過ごされています。こちらのお寺は、四国遍路八十八ケ所には数えられないお寺ですが、大奥様に会いたくてわざわざ遍路道を遠回りして見えるお遍路さんもいるほど。知る人ぞ知る女性なのです。

「住職がおらんときは、代わりにあたしがお経をあげゆうきね。」

そんなことをサラッとおっしゃるではないですか。時には人懐こい猫も一緒になって詠むのだと客人も笑って話すのです。

お寺と町の人々のおおらかさに、こちらまで心が伸びやかになりました。

営みを見守ってきたお像たち

祖母の墓前で手を合わせた後、住職と大奥様に迎え入れられ茶菓子をいただくことに。夫が仏師であることが話に上り、和気藹々としていたところ、住職がお堂の奥から小さな仏像を取り出してきました。

手のひらに乗るくらいの古いお像で、よく見ると右腕が継ぎたされていました。

「庭の木ぃ切ってきて、自分で削ってつけてみたんや。どうやろか。」

住職のお手ずから修復された右腕部分は、荒削りではあるもののどことなく愛嬌があり、全体として親しみあるお像になっていました。

その後、住職は次いで大事なお像たちを取り出されては、まるで古い友人を紹介するかのように見せて下さいました。

古びていたり、どこかしら欠けているお像ではありましたが、どれも、歴代の住職とそのご家族、地域の檀家さんと共に生きてきた「生(なま)」のお姿でした。

仏師が知らないお像のその後

お像をお納めした後、仏師がそのお像に会うことはほとんどありません。
納品先に別なお像を納めに伺った際お会いするか、修復で一時的にお預かりすることがあるとしても、長持ちするように造る以上、お会いしないことが自然ではないかと思います。

その一方で、この南国のお像たちのように、仏師や修復師、彩色を施した職人、守り伝えてきた人々の思いが映し出されたお像とひょんなことから出会ったりすると、言葉にならない思いが去来します。

仏像は、人から人へと継がれ、人と人を繋いでいく。

仏の教えの目印として、人々の営みを映し出しながら。

日本の仏像は、主に木材でできている以上、そのままでは朽ちていく運命にあります。そんなお像たちを、百年・千年の時を経て受け継いでいるのは、仏像修復師や仏師たちの技術と知識だけではありません。市井の人々の素朴な信仰が何かしらの形でお像の命を繋いでいます。それがまたお像の佇まいに重なっていくのだと思います。

仏縁のかたち

その後、このお寺の大奥様とは節目節目で便りを交わす仲となりました。お寺に顔をみせると、私たちをまるで身内のように扱ってくれます。お遍路さんが訪ねてくると、大奥様に代わって私たちがお茶を点て、接待することもあります。

八十八ケ所ではないお寺でありながらお遍路さんたちに慕われるのは、お寺の皆様のおおらかで温かいお人柄に他なりません。

「お釈迦さまはそういいはった」

ここでは、構える間もなく教えがすうっと染み込んできます。

今年の秋祭りには、生後半年になる娘を連れていく予定です。

大奥様は、変わらず檀家さんやお遍路さんの接待を続けておられるのだろうな。

きっとまた、私のつたないお点前も、何にも言わずに服んでくださって、くしゃくしゃの笑顔を見せてくださるのだろう。

古びた仏像たちが、これから先もこうした光景を見守ってくれるに違いない。

そんなことを考えながら、旅の準備を進めています。

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吉田沙織 Saori Yoshida
よしだ造佛所

高知出身→東京→高知へUターン。看取りの現場から作家秘書(仏教関連本を出版)を経て、現在造佛所運営