ゴジラと元気玉精神史

ゴジラシリーズ12年ぶりの新作『シン・ゴジラ』が公開された。以降ほとんど毎日のように映画館に通いつめています。日本特撮史における最上級の瞬間が幾度となく到来する本作は、いくつかの問題点を考慮しても、史上最高の怪獣映画なのは疑いようがなく、今後これを超える怪獣映画に出会うことは死ぬまでないだろうという悲しみさえあります。

一応ゴジラシリーズは全作観ているものの、熱心に追いかけていたわけでもないし、エヴァンゲリオンに至ってはただの一度も目にしたことがありません。庵野秀明氏の作品に触れるのも今回がはじめてなのだが、彼が実質的な画作りを担当していると思われる今作をみて最初に感じたのは、実相寺昭雄からの影響の大きさだった。カメラは全編に渡って実相寺アングルのオンパレードで、ゴジラというよりウルトラマンを観ている感覚に陥る。

『ウルトラマン』では、科学特捜隊が日本政府や自衛隊、ウルトラマンが米国米軍という日米安保体制のメタファーが背後で稼働していることが、金城哲夫や上原正三の名を挙げるまでもなく度々指摘されてきた。初期のウルトラシリーズでは、日本の防衛を担いながら常に決定的な解決をウルトラマン(米軍)に委ねる防衛隊のジレンマが繰り返し描かれる。今回の『シン・ゴジラ』は、ウルトラシリーズの構図から比喩を剥ぎ取った姿のようです。米軍の熱核攻撃以外に道はないと説く赤坂は「小さな英雄」のイデ隊員と被ってみえる。

クライマックスの「ヤシオリ作戦」へ至る官民一体の国家総動員体制で描かれるのは、並列化処理されたスーパーコンピュータ群の描写が象徴するように、数千数万の労力が積み重なってゆく過程である。これはいわば可視化された元気玉にほかならない。「(一般人も含めた)みんなの力を一点に集中させて敵を討つ」という、この共産主義的な必殺技は日本人に余程愛されているらしく、あらゆるジャンルで多用されています。ぱっと浮かぶところでは『マザー2』のギーグ戦とか、『ガメラ2 レギオン襲来』でのウルティメイト・プラズマ辺り。

元気玉を構成する原材料は「気」とか「マナ」のような、なにかふわふわしたエネルギーとして描かれることが多いが、『シン・ゴジラ』の日本でこれらに対応するのは「人」「物資」「法律」である。戦略の立案や原料の調達、特別法案を成立させる事務手続きのひとつひとつが、一個の元気玉へと結実する展開は、ひとりの英雄ではなく、群れとしての戦いを好む日本人の精神性そのものなのだろう。

気になったので元気玉のルーツを追ってみたところ、桂正和『ウイングマン』や横山光輝原作の『六神合体ゴッドマーズ』を経由しつつ、1968年のアニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』へ辿り着いた。

『ホルス』は一見英雄物語でありながら、主人公一人の力は限られていて、すべての村人が協力しなければ倒すことができないラスボスが登場する終盤の展開はまさに元気玉的である。特筆すべきはこの作品、高畑勲・宮崎駿コンビによる事実上のデビュー作だということだ。すごい。

高畑勲に宮崎駿。書いてて気づいたけど元気玉のルーツって結局、共産主義革命すら標榜していた1960年代の急進的学生運動がモデルに在るのではないか。考えてみると『シン・ゴジラ』の巨災対の動きもソヴィエトの五カ年計画をなぞっているように思える。