PBGLK
わんわんがうがう
3 min readMar 27, 2019

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2019–03–28

フロムソフトウェアの新作『SEKIRO: Shadows Die Twice』を遊んでいる。

これまでの西欧風ダークファンタジーから一転した奇妙な和風の世界は『仮面の忍者 赤影』や『どろろ』、山田風太郎などの昭和伝奇もの諸作のような土着的な空気が漂っており、そこでは『Shadow Tactics』や『Ghost of Tsushima』などの他者の視点からは得られることのなかった/おそらくないドメスティックなノスタルジーが喚起される。

人間の形をしながらすでに人でなく、内から宿主を食い破る「虫」のモチーフが、宮崎英高氏のディレクション作品では繰り返し現れる。

『Dark Souls』の太陽虫、卵背負い、人の膿、『Bloodborne』での獣憑き、蛇頭、と執拗に反復される〈虫〉の表象は本作でも「蟲憑き」として姿を現す。またより物語に深く関わる「変若水」も内部から人間の理性に変異を及ぼす〈虫〉の一種と考えられる。

人体に巣喰いながら外部を目指す異物 = 他者である〈虫〉の概念は、『Bloodborne』の世界全体を覆っていた出産のイメージとも近似的に映る。ブラッドボーンがラブクラフトを参照元としていることは明白だが、ラブクラフト作品はアジア人嫌悪や、とりわけ異人種間の混血に対する恐怖を根底に抱えていることで知られている。

思えば、宮崎作品の最大の特徴ともいえる例の不確かな情報の断片たち、曖昧な台詞やオブジェクトのひとつひとつから物語の背後に何か得体の知れない大きな神話が隠されているとプレイヤーに信じ込ませるあの〈仄めかし〉こそ、ラブクラフトの得意とする手法ではなかったか。

仮にラブクラフト由来の物語構造が借用される過程で、ラブクラフト作品に内在する混血や出産に対する嫌悪や恐怖までもが無意識的に宮崎作品に継承されているのだとしたらどうだろう。幾度となく現れる〈虫〉たちは宮崎作品の体内に孕み抑圧された異物による叫びなのかもしれません。

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