『Out 1』鑑賞記録 ③

Day 4
トマの劇団から。はじめに話題に上がる仏像と能面は、ベケット以降の現代演劇が、ミニマリズムの極北ともいえる能演劇の審美的な側面を継承していることを暗示するものか。各々がプロメテウスに成りきってのロープレで求められるのは徹底的な主観性。「お前が何をするかなんかどうでもいい、どんな言葉を発するのかを知りたいんだ」と苛つきを隠さないトマからは、身体的な行為よりも言葉の内容を重視する彼の指向が伺え、リリの演出との対比もますます際立ってみえてくる。

プロメテウスの〈言葉〉は、パーシー・シェリーの戯曲『鎖を解かれたプロメテウス』を参照しつつ極限まで削ぎ落されていく。アイスキュロスとシェリーの決定的な差異は後者の無神論に由来すると思われるが、ここでは補助線として妻メアリの父親ウィリアム・ゴドウィンの存在を挙げたい。

探偵小説の起源の一つにも数えられる彼の小説『ケイレブ・ウィリアムズ』では、大地主フォークランドと、両親を亡くしフォークランドの庇護下に置かれる農民の息子ケイレブとの愛憎入り混る関係が描かれる。フォークランドのケイレブへの態度は、ゼウス(ジュピター)のプロメテウスに対するそれに酷似するが、ケイレブはフォークランドの絶対的権力に屈することなく抗いつづける。

創造主と被造物、父に対する子の反逆という中心的題材は、変奏を重ねていずれメアリの『フランケンシュタイン』に結実する。この視点は、神の絶対性を疑うことを知らないアイスキュロスには全くないもので、ゴドウィンの信奉者であったパーシーにもそのまま引き継がれる。

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