自分らしさってなんだろう?

自分らしく生きよう!

よく言われる言葉ですよね。

でも、自分自身がわかっていて、尚且つ、その気持ちに正直に生きている人は、全体のどのくらいいるでしょうか?

最近は、「個性尊重の教育を!」などと、叫ばれています。でも、僕の小中学校時代を振り返ってみると、クラスや学校単位の規律を守ることが第一で、個人の意見や気持ちを尊重することは二の次だったような記憶しかありません。

だから、これまでの学校教育は、社会に出てから、会社組織や社会の中に入り、うまく順応するための訓練のようなものだったという見方もできます。

みんなと同じ方向を向いていれば中流になれた時代

戦前は、国や天皇が絶対的なものであり、それに忠誠を誓い貢献することが、価値があることとされていました。敗戦後の高度経済成長期になると、国民の意識は、会社に依存します。給料を上げて豊かな消費生活を送ることに変わりました。

そしてバブル崩壊やリーマンショックを経て、低成長時代に入った今、たとえ大企業に入ったからといって、安穏としていられない時代に変わりました。貧富の格差も拡がっています。

今後、人々は何に価値を置くべきなのでしょうか?

辿り着くべき地点や将来の目標がはっきりと見える時代は楽です。みんなで同じ方向を向いて、励ましあいながらひたすら前進していけばいいのですから。

将来、給料が高く安定している就職先に入るためには、受験競争を勝ち抜き、評判のいい大学に入れば、ほぼ達成することができました。みんなと同じような経験を経て行けば、上流は難しいとしても、中流くらいにはなれたのです。

国際情勢の不安定化や、テクノロジーの発展による産業構造の変化。5年先の世界も見通し辛い時代です。たとえば、就職する場合、今、1番好調な分野だからといって、適性も考えずに、そこを目指して努力するのは、先々を考えると危なっかしいことなのです。

「自分らしさ」は、経験の比較からしかわからない!

どんな時代になっても、時代の変化に翻弄されず、自分らしく生きるにはどうしたらいいでしょうか?

幸せの尺度は人によって違います。でも、自分らしく生きられれば、幸せかどうかはわかりませんが、少なくとも不幸ではありませんよね!

自分らしさは、1つのことをやっていても見えてきません。比べるものがないからです。比べるといっても、人と比較してはいけません。嫉妬は人との比較によって起こりますからね。人とではなく、自分の環境をいろいろ変えてみることで比較してみるのです。

比較対象は、さまざまな場所や時間、学校、職業、本や音楽など、体験できるすべてのことが当てはまります。

経験を重ねることによって、自分の居心地のいいことやものが明確になって来ます。人によっては、何回も失敗することもあるでしょう。でも、それを怖がってじっとしていては、ほんとうの自分らしさは発見できません。

MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏は、4つの大学、2つの大学中退を経験し、さまざまな職を転々として、日本人初、世界有数の研究機関のトップになりました。

メディアラボは、テクノロジーを用いた斬新な発明や提案を行うための機関です。

数多くの経験と失敗を繰り返して来た伊藤さんだからこそ、未知の可能性を大胆に追及して行くことができるんじゃないでしょうか?