Day 13

Michino Hirukawa
パリのすみっこから
5 min readMar 5, 2019

今できることをやり残しないようにと、朝から行動を開始する。本日のミッションはあの美術館へ行くことだ。世界で一番多く人が訪れている美術館、ルーヴルへ。学芸員課程を履修していると、ルーヴルについて語られることは多々ある。コレクション、観光、文化政策、タッチアンドトークの教育などの側面。言ってみれば“世界一”の美術館なはずだが、もはや行かなければという使命感を抱きながら出発する。

ルーヴルへはメトロを乗り継いで。到着して地下鉄の階段を昇ると、さっそく署名を求める人たちが数名。華麗に無視して通りすぎた。このような人たちを何名が見たのだが、一体どういう人たちなのかと調べてみたくもなる。Youtubeでの動画や説明記事など、インターネットで何となく知ることができる。観光地には世界からさまざまな人が集まる。そこに紛れながら、ときには悪事とされることが行われる。観光地は比較的誰でもアクセスができるオープンな場所である。けれども、そこにいる人を生活を営む一個人として捉えたとき、観光地の<場>という括りをこえて見えるものは何か。

パリでは雨が降ったり、止んだり

有名なピラミッドを目の前にし、これが噂のやつかと“確認”するような気持ちで写真を撮る。他にも自撮りをしたり、一眼を持ち歩いていたり、写真を撮る人たちをたくさん見かけた。事前にネットでチケットを購入していたため、優先レーンでささっと入場する。すると地下に誘導され、開放感にあふれた空間がひろがっていた。大理石の床と壁は、まるでデパートのような雰囲気をつくりだす。カフェ・レストラン、インフォメーション、お手洗い、荷物預かり所。一つ一つのコーナーの規模が大きい。いろいろな言語の声が響いているわけで、まず迷子のように見失った気分になる。

マップを広げ、何階から行けばよいか考える。そう、このレベルの美術館であれば、入場する前に考えなければならない。日本の展覧会であれば、決められたコースに沿ってついていくだけで十分だ。流れに乗るだけで、作品に出会うことができる。でもこれほどのコレクション数、しかも価値ある作品となると、選択肢が与えられる。0階でウロウロとしているだけで、突然ルイ14世の絵画がお出迎え。そんな場所だ。シャッターの音、ツアーの案内声、足音、多言語の声。ふつう、美術館といえば静かなイメージがある。しかしルーヴル美術館はそうではない。ここにいる人たちは、何かつい音を発したくなるらしい。

さっそくだが、私も目当ての作品を探しだすことに。期待していたのはサモトラケのニケなのだが、結果として一番良かった。階段の踊り場に設置されていて、想像以上に大きい。衣紋の細かさから、肌の透明感がわかってしまう。彫刻の一部は無いのだが、だからこそ働かされる人の想像力があり、不思議と動きが見えてくる。羽も100枚以上で表現されているらしい。多少、授業で彫刻を学んだことから、知識を持って鑑賞できるかもしれない。一方で、このようにブログ上で言葉にしていくことで、感じた何か失われてしまう。だから、芸術鑑賞は難しい。

他にもモナリザ、ミロのヴィーナス、洗礼者聖ヨハネ、自由の女神など、一等品の作品が続々と登場する。鑑賞する力も身につけてみたいという気持ちも心のどこかにある。この分野では、継承していく以外に、何をもって新しく生み出していけばよいかわからない。古くから大切にしてきたものが、いまの時代に教えてくれることはある。ここで茶道に触れていてもそうだが、<もの>を通して本物を知ったり、つりあいを知ったりすることは、けっきょく人とのコミュニケーションに活かされてくると思う。保存と展示、矛盾することをそれでもやり続ける意味とは。

ルーヴル美術館を後にすると、フォーラム・デ・アールへ寄る。いわゆるショッピングセンターだが、パリの若者はここに集まるらしい。ZARAやH&Mをふくむ大企業もはいっていれば、フランス産の小さな店もたくさん。大手本屋のfnacで、ずっと探していたファンタジージャンルの本を1冊購入。ネットで検索すると、この支店のみ在庫があった。だから意地でも来た。普通の小説だが、いまはパッと開いても素早く理解できない。しかし、好きなものから入って、<じぶんゴト>へ近づけていくのが言語を習得する近道だと信じている。それほど遠い世界ではないことを、知れるからだ。また、現代美術の聖地であるポンピードゥ・センターにも寄る。パリではこの地域から、新しいものが創出されているのかもしれない。

夕方には、滞在中に知り合ったパリの日本料理店で働く方と最後会うことに。老舗カフェとして有名なLes Deux Magotsへ。一度体験してみたかった場所で、雨の夕暮れどきを過ごす。不思議なご縁があり、滞在中に数回会うことができた。同世代であり、たくさんの刺激をいただいた1人だ。出会いとは不思議であり、何がそうして導いたのかわからない。ただダルマの意図では、人の出会いは運命であると。向かう目標は違うけれども、いつかまた、どこかで出会いましょうと最後の言葉を交わした。このカフェでは、かつて画家や哲学者たちが集まって議論を深めていたらしい。そこには変わらない場所があり、いまを生きる私たちがいる。

ココアとともに

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