Day 14

Michino Hirukawa
パリのすみっこから
5 min readMar 5, 2019

いよいよパリで過ごす、最後の晩になった。この日は朝から夜まで、お世話になった人たちと出会うことに。現地での知り合いが少ないなか、1人で行ってくるわと言い出し、ある人からは心配され、またある人からは気軽でいいねと言ってもらえて。後ろから声を聞きながらの出発となった。しかしこの2週間、結果としてたくさんの人たちに支えられながらの旅を終わろうとしている。再会、同世代の人たち、人生の大先輩たち。この運はどこからきたのかと思うほど、人とのつながりに恵まれた旅となった。それは、今回の2週間でじぶんが考えたかった、皆さん日仏の<間>で生きる人たちであった。

午前中は、もう一度かつて中学の先生と会うことに。突然前日にご連絡差し上げて、最後にとお時間をつくってくださった。近くのカフェで座ることに。日本の社会から離れて、暮らすこと。パリではスリもあるし、テロも注意があるし、学歴社会でもあるし、大変なこともある。それでも、ここで生きていくことを選んでいる。私も今まで、海外に住むたくさんの日本人の方と出会ってきた。というか3年間アメリカで、じぶんの振る舞い方に悩んでいたときもある。今回もそうだが、私も海外に出るときは強気モードに変える。けれども角がたちすぎると、あるときに折れてしまうのは経験的に知っている。まるで水のように、柔軟でしなやかにあわせながら、じぶんを持つことはできれば。そんな人には、優しさがある。だからこそ、私は彼女を尊敬している。不思議ではあるが、いまだからこそ話せることが多かったかなと。細々とfacebookでつながっていたけれど、いまでも“先生”と呼べる人と会えたということが、何よりの喜びだった。

いったんホテルに帰り、パッキングやできることをすすめる。この時点で、ある程度まとめておきたかった。夕方からは、同じ大学の大先輩にあたる方と最後の時間を過ごすことに。この滞在中、大変お世話になった。娘さんと、またこちらに在住する芸術関係のお2人と出会う。集合したのは、École nationale supérieure des beaux-arts。ここはパリのいわゆる美大であり、デッサン展がおこなわれていた。デッサン展と言っても、ダヴィンチレベルものばかり。ルネサンス期の美しい絵画も、白黒線と影のデッサンからはじまるらしい。準備ありきというか、何だか人間らしさがあり、1つ1つの小さな作品を見入ってしまう。芸術関係のお1人が、この美大のデッサン講座に通われている方だった。アドミッションからは外れる講座らしいが、このような学びの環境についてはじめて聞いた。素直に、通いたい欲がわき出てくる。一等の作品にアクセスでき、また品あふれる美大で学べるなんて痺れる。私も大学入学前のギャップイヤー的な数ヶ月間で、アメリカの地元でデッサンを習ったことがある。まるで禅のような無になれる時間であり、すごく好きだった。ただ日本帰国となり、やりきれず悔しい思いをした。日本で鉛筆をとってみたとき、ある教授から画力は独学だと言われた。その言葉が刺さり、まあ細々としていたが、いまは研究会でじぶんの表現として選んでいる。

パリの美大

美大を後にすると、パリで一番美味しいと言われるクレープ屋さんへ。パリ滞在中は基本的に1人であったので、なかなか良さげな外食をする機会が少なかった。あたたかい光で満たされた部屋で、ブルターニュ地方のクレープやキャラメルのデザートをいただく。お腹も幸せで満たされてしまった。さまざまな想いでパリに集まる人たちとお話できることはとても面白い。お2人は画家とオペラ歌手として、パリで勉強されている。そんなコラボレーションが生まれるのも、このまちのマジックなのかもしれない。ほぼ初対面なのに、不思議にもたくさんの笑いがうまれた。お店を出たころにはすっかり日が落ち、夜を求めてこの地区に人びとは集まってくる。道角にて5人で丸くなり、なんだか惜しむような気持ちで立ち話。その間も、お金を求めてくる人もいれば仕事帰りらしき人も行き交う。2週間で見慣れてしまったカフェのテラスには、ワイングラスを片手に人たちが座る。上からの街灯が私たちをほのかに照らしていた。もう少し早いタイミングで出会いたかったのが、正直な気持ち。また、会いたい。だから、「さよなら」を言わなければならなかった。

滞在中は、このブログやスケッチやラジオの成果物をつくりながら過ごせたことはよかった。2週間のフィールドワークで、パリというまちと私の関わりをふちどってみたかった。人と出会うたびにスケッチブックを開いて、反応をもらう。今回の私の旅に“関わって”くれた人に、できるだけ早く還せるように選んだ方法だった。私はアーティストではないし、フィールドワーカーでいたかった。いま通っている大学はすぐに何かの「変化」を求めるし、学生たちも変に盛り上がる癖がある。そうではなく、ただそこにあるものに光を照らすような、そんなやり方をじぶんなりに見つけたかった。ただ技術的な未熟さもあり、私自身はいろいろと試しながら成果物をつくっている。また別エントリーで、改めて成果物についてはまとめたい。いろいろな場所へ足を運んだり、作業をしたりと忙しそうだねと何度か声をかけられたが、フィールドワーカーの足跡を残したかった。1つだけ宿題を持って帰ってしまうことになるかな。

明日はいよいよ帰国日。午前中は最後の最後の一仕事を終えて、安全に日本へ帰りたい。先の道は、見えつつある。

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