Day 15

Michino Hirukawa
パリのすみっこから
5 min readMar 7, 2019

ついにパリ滞在も最終日をむかえた。長くもあり、短くもあった2週間であった。早朝からの行動となったが、いろいろな想い交わり、もはや無。荷物をまとめて部屋の確認をし、ホテルをチェックアウト。最後の活動場所へと向かう。パリ日本文化会館で、あと1つインタビューが残っていた。滞在期間でなんとか調整をつけてもらい、お話できる機会を得られたのも幸運だった。何度も乗り回すことになった、メトロの6番線。地下から地上へ、電車は上よ下よと人びとを運ぶ。

最寄り駅はエッフェル塔が間近で見られる場所でもある。早朝のため、パリのシンボルを一目見ようと人びとが歩いていく流れをつくっている。そんななか、私は現場の入口で待機。Bir-Hakeim橋も、セーヌ河も、これで最後かとまじまじ眺める。少し寒々とした日だなと感じながら、約束の時間になると担当の方をお目にかかった。2回会うことになった。まだ開館していない建物へ案内され、会議室へと誘導してもらう。ここで待っててほしいとのことだ。とりあえず完成したスケッチをお見せし、2週間の滞在についての話をする。それから少し待っていると、今回の取材相手の方が入ってきてくれた。

彼はこの会館で映画担当をされているフランス人の方だ。パリ日本文化会館で、どのような日本映画を上映するかを決めたりオーガナイズしたりされている。この会館で、長く携わっているらしい。もちろん初対面であるため、どのような趣旨でパリに来たのかフランス語で説明しようと努める。ジャポニスムでは「日本映画100年」という企画が実施されていて、どの映画を上映するかさまざまな立場からの議論が行われたらしい。“débat”というワードを何度も発されていたことが印象的だ。日本の戦前映画を流すための、もう製造されてない貴重な大きいフィルムやカセットを見せてくれた。映写室まで入れてもらえて、今は貴重な機械や字幕のコンピュータの重要性について教えてくれる。彼の熱心さが伝わってくる。ジャポニスム事業だけでなく、このような仕事についてやこれからのビジョンも語ってくれた。私もじぶんのスケッチをお見せたり、詰まりながらも今までの活動を説明しようとする。「これから翻訳はどうなってしまうのでしょう、機械が取ってかわってしまうのでしょうか」と尋ねてみた。「機械はテクニックだけれども、心が無い。心を無くしてしまうようなことを、人間はしないと思う」最後に残った、彼からの言葉だった。

(参照:https://100cinema.japonismes.org

取材を終え、帰り道へとすすむ。少し気がゆるんだのか、いわゆるベタなお土産屋さんで何個か物を購入する。元に来た駅へと戻ると、露店を開いている人や電車内で楽器を演奏している人たちもいる。しばらく、もうメトロにも乗ることがないなと思いながら、リュックを抱えて座席につく。最初はかなり緊張しながら乗っていたメトロ。こんなにもパリのメトロには人が乗っていたのかと、改めて気づいた。

いったん最寄り駅に戻ると、最後の昼食と買い物を近くのショッピングセンターでする。度々お世話になったのだが、やり残したことがないようにと最後の時間を過ごす。クロワッサンを食べると、本やスケッチブック、またスーパーでお菓子の買い物に。結局1時間半ほど時間は経ってしまった。パリのショッピングセンターはどこにでも警備が立っていて、監視の目が厳しい。あのテロからまち全体での警備が強くなったらしく、カバンを何度も開けるはめになった。

ホテルに戻り、改めて荷造りをする。財布や鍵など、日本仕様に変えていく。やはり荷物も増えてしまった。少し汗をかきながら、さまざまな物を仕分けて準備する。帰りもタクシーを使うことに。車内から、外のパリのまちを見届ける。滞在していた地域はこんな場所だったのか、すごく賑わっている、あんな店には気づかなかった。まだまだ知りえなかった場所がある。すぐに高速へ入ってしまい、パリのまちからはあっという間に離れてしまった。そう、あっという間にパリのまちが見えなくなってしまった。

シャルル・ド・ゴール空港でも雑誌を読んだり、飲んだり食べたり。最初にこの空港に来たときは、目の前の光景を注視できなかった。けれども今は違う。少しずつ、見えるものがある。搭乗口には多くの日本人が集まっている。ただ何だかオシャレだったり、優先搭乗に集団が集まっていたり、パリコレ関係らしき人たちだ。そんなちょっと特別な時期に、パリのまちにいたのだと思う。飛行機では、映画を2本観て、寝たり起きたり。日本時間を意識するのか、どうしようかと不思議に考えたり。ただあまり、思考は働いてなかった。

たくさんの思わぬ幸運に恵まれた、旅になった。人に出会い、出会い、日仏の<間>にいる人たち。それぞれの志や想いは本当に刺激的で、1人1人の顔が思い浮かぶ。不安もあり、曖昧さ覆いながらパリに来た。いま2週間を終えて、ひとつ心が決まったというか、ふりきってフィールドワークができたことがよかった。芸術の見せ方、歴史、さまざまな文化。パリというまちと、じぶんが関係を持ちはじめた旅だったと思う。これからしばらくは、もうフランス語圏で目指したい。

日本に到着すると、激しい雨に濡れながら帰宅することに。日本の雨は、なんだか体に重くささる。パリの雨は軽かったのかと、体が反応した。もう、思い出すことしかできない。だからこそ、草の根でじぶんの美学を保ちながら、またがんばっていきたい。ありがとうございました。

--

--