Day 6

Michino Hirukawa
パリのすみっこから
6 min readFeb 25, 2019

昨晩を終えてから、意外と体は起きた。朝食でも、食パン、バゲット、チョコ、カスタードとたくさんのパンを食べてから1日がスタートする。しばらく過ごしているから、容量はつかめた。あとはいよいよ、日本でいうパスモのようなNavigoを使える曜日となった。午前中は、昨晩からの部屋の整理をしていた。スケッチである鉛筆をチェックすると、すべて意外と短くなってきたことに気づいた。また削るためのカッターの持参を忘れたため、近くのスーパーで購入。ノートやカッターやファイルといい、日常的につかう普通な物ばかりを手に入れたくなる。アメリカで生活していたからなのか、海外の国で学生たちはどのようなツールを使って勉強しているかが気になってしまう。

お昼からは、ギメ東洋美術館へと足を運んだ。ここでもジャポニスム関連である、「古都奈良の祈り」が開催されているからだ。ギメ東洋美術館は、主にアジア美術が展示されている美術館だ。なかに入ると、いきなり奥のほうでカンボジアの彫刻が目にはいる。受付でチケットを買おうとすると、なんと年齢確認として無料で入場できることになった。美術館に無料で入ることができるのは、なんと贅沢なことだろう。美術に対して寛容なまちだ。しかし状況を理解するのに少々自信がないときは、英語を使ってしまう。悪いことはしてない、不思議な罪悪感と悔しさを心にいだく。

お目当ての「古都奈良の祈り」は、3体だけの展示であった。しかも、謎に書斎に展示されている。日本ならば、書斎つまり背景に本棚をかまえた前に、菩薩立像が展示されている光景は考えられない。追いやられてしまったのか。前述のように、入口の奥に膨大のアジア彫刻が展示されていたため、予想とは少し違ったものだった。展示室の手前には、この奈良菩薩についての冊子が置かれている。やはり、3体だけではない、まだ伝えたい古都奈良のストーリーがあるのだと思う。ひととおり展示を見終わると、せっかくだから他の展示も見にいくことにした。気になったのが、父がフィリピン人で母がフランス人のアーティストである、Jean-Baptiste Huynhの写真展示だった。暗室のなかに、大きく引き伸ばされた写真が展示される。モノクロではあるが、アジア各国のテーマにあわせた、顔や自然や体が切り取られている。彼の写真の力によって、想像力が刺激されるというか、思わぬところで引き込まれてしまった。最後に、美術館のグッズコーナーに行くと、東洋アジア美術に関するものがたくさん売られている。国ごとで分かれ、日本美術に関するフランス語の本たち。ポップな色合いが、思わず目にはいる。

フランス人的な日本

美術館を後にすると、観光モードへ。近くにあるトロカデロ広場まで歩く。じつはこの場所、2日前はデモがおこなわれていた。テレビで観た記憶があったため、すぐ認識できた。平日になると平和な日々が戻るというか、広場には観光客であふれていた。道を歩いている途中、下を見るとところどころにガラスの破片が散らばっていて、あの日の跡がかすかに残されていた。

このような観光場所へ行くときは、緊張する。けれども一方で、「取れるもんなら取ってみろ」という気持ちで堂々と歩いている。広場から見えた景色は、素直に綺麗だった。意図的に、エッフェル塔が見える構図になるよう設計されているとしか思えない。パリのまちでも、圧倒的な高さで存在感をあらわしている。ところで、エッフェル塔と東京タワーの高さはほぼ変わらない。私は日本で東京タワーを横切りながら学校に通う。そのとき、まわりの高層ビルから垣間見えるのが東京タワーだった。チラッと見えるというか、タワーがひっそりと東京のまちに立っている。けれども、パリのまちでエッフェル塔を見ると、他の建物がすごく小さく見えてしまう。なんて空は広いのだろう。まちのなかで、塔のシンボル的な役割が、まったく違う。

トロカデロ広場

ついでに、凱旋門へも歩いてみる。せっかくパリに来たのだからという気持ちで、ほぼ根性で門を目指す。途中、小さな本屋さんがあって思わずゆっくりとまってしまった。外国の本屋さんが好きで、というか外国文学の本のつくりが好きなのかもしれない。横書きで上から下に読む、ページの触り具合、飾らない表紙、匂い。一気に、高校生の頃に米英文学にハマりすぎて先生と本屋さんに住みたいと話をしてた頃の記憶が呼び起こされる。日本では感じることがない、古さありながらも知的な雰囲気があふれる、外国の本屋さんがすごく好き。3年ぶりだ。

凱旋門へ着くと、思った以上に迫力があり、少し笑ってしまう。彫刻もしっかりと構えられていて、「ほお」と唸るしかなかった。あまり人がいなさそうなところで、ひっそりと写真を撮る。本当はあの門をくぐり抜けたかったが、人の多さに断念。噂どおりであったが、凱旋門を中心に11の通りが集まっている。渦巻き状に何かが集まる、溜まる場所なのか、フランス人的な考え方が反映されているのかもしれない。さらについでに、シャンゼリゼ通りを歩いてやろうと、下っていった。先のほうはずっと道が続いていて、大渋滞。パリで今まで私が歩いてきた道よりも幅が広く、ここがメインである理由がわかった。それでも、道に面したいくつかのお店はガラス張りのショーケースに板がつけられていた。デモの影響だろう。いまはまったく面影を感じさせないが、この切り替わりが恐ろしい。また今日からは、パリファッションウィークいわゆるパリコレがはじまる。きっとまたこの1週間で、まちの雰囲気も変わるはずだ。カール・ラガーフェルドもこの世を去ってしまった。どこのまちも、常に動いている。誰かセレブリティと会えたらいいな、そんな期待もあり。

この地域での最後の夜は、初日と同じ店でキッシュを。前回はシステムわからず迷惑かけたが、今日は成功。いまもテレビを点けながら、ジャーナルを書いている。もっとフランス語を勉強したい想いは、まちがいなく積もるばかりだ。

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