Day 8

Michino Hirukawa
パリのすみっこから
5 min readFeb 28, 2019

今日は移動してからの1日目だ。また新しい環境に慣れることは楽しい一方で緊張もする。午前中は手を動かしながらスケッチをし、お昼前には近くのモール散策をした。スーパー、アジア料理、ブーランジェリー、最低限の食品確認をしておく。こうして、生活をまたはじめていくためのプロセスを踏まなければならない。パリ滞在も、残り1週間になってしまった。

本日の予定は、たくさんの人と会うことだった。調査ではなく、気楽な気持ちで1日をはじめることができる。渡仏前は、パリで孤独を感じるのではないかとも思っていた。けれども、さまざまなご縁があったり、再会があったり、出会いがあったり、新しい土地での関係を築きつつある。そして今日は、同じ大学の先輩でパリに在住されている方とランチをすることになっていた。なかなか外で良さげなランチをという機会がとれないため、楽しみにしていた。

待ち合わせたのは、とあるサロン・ド・テ。可愛らしい外装に、お昼どきに多くの人たちが賑わう。そして合流して、娘さんもいれた3人で席についた。紙に書かれたメニューを見ながら何がいいかと選ぶ。ところどころでわからないフランス語の単語を訳してもらい、想像力を頼りに料理を決める。パリに来てからはじめてお会いし、改めてお話できた。じぶんの研究、大学でのお話、こちらの生活、たくさんのお話をしながら時間が流れていく。ナイフとフォークを使い、タルトとサラダをゆっくりと口に運ぶ。またこちらに住まれている方が合流し、話が弾みはじめる。

キッシュ

そのなかで、パリの時事問題の話になった。パリではデモが日常的に行われている。日本でデモといえば珍しい行為であり、世間では一目置かれることがある。しかしこちらでは、最近のGillet jaunesもふくめて1つの文化としてデモをする。ときには高校生がじぶんの学校に対してデモすることもあるらしい。衣装をそろえて、学校の前に物を置いたり、自身のSNSにアップする。一方で、パリの高校ではいわゆる「〜式」と呼ばれる、全員で何かをする機会がない。体育祭やプロムもなく、あくまでも読み書きだけができたら十分である考えがある。つまり、皆で何かに対して力をあつめる機会がデモになっているのでは、という結論になった。パリでは、じぶんの何かを発散する場所がないのだろうか。綺麗で整えられているからこそ、隙間がない。どこかのタイミングで、一気に爆発するようなそんなダイナミクスなのだろうか。

ショコラまでいただいてしまい、コーヒーを片手にお茶をする。ところで、私のスケッチブックの話になった。恥ずかしながら、今までのイラストや今回できたものをお見せする。手元に制作物をまとめておくことで、思わぬところで話ができたり、反応をもらえたりする。今回のフィールドワークでの気づきは、じぶんの「的な」を見つけることだったかもしれない。卒論もしくはこの先にも活かしていけるような手法をあみだしていきたい。

その後は、日本からフィールドワークで来ている同じ大学の先輩とこちらに在住している学生さんとセーヌ川沿いで会うことに。打って変わって、スーパーで買ったビールとワイン、チーズとトマトを広げながらピクニック。学生さんは、パリに来てから1年半が経つらしい。少し野郎腰で、タバコをとりだすことも。ただ、じぶんが何を目指しているかに対しては、選び出した言葉で語っていく。わざわざパリで学ぶ道を選んだ人、なんだか肌ツヤもいい気がする。何かに情熱を注ぎ、このまちからエネルギーをもらいながら、きっと毎日を面白がっているのだろう。「晴耕雨読」と言いながら、晴れの日は外でにいき、雨の人は部屋にいる。それでいいらしい。

Pont Neufから

帰り道は、下りながら目にはいったケバブ屋さんへ。今日の晩ご飯だ。パリにきて、はじめてのジャンキーフード。多少雑な店主が目の前でケバブをふるまってくれる。久々、海外のファストフード店に来たなあという気分に。机のうえには謎の塩も置かれ、2階には何故か誰も来ない。けれども、まだこのあたりのケバブ屋は普通らしい。もっと郊外に行けば行くほど、雰囲気は落ちてしまう。その分、味は美味しいらしいが。じつはこのとき、少しまわっていて。パリに来てからのほうが、まちで酔っている。

今日は人と会い続ける日になり、多くのコミュニケーションをとれた。いろいろな人たちが、パリで生きている。そして、パリに行こうとしている。未知なる土地でもがいていると、声をかけてくれる人たちがいて、幾度の幸運に恵まれた旅であった。じぶんでチャレンジしていくことが必要だった。恩恵を受けるばかりではなく、どう「還していくか」を考える。世の中にいるすべての人たちが、手を差し伸べてくれるわけではない。知らないふりをする人もいれば、最後には見放す人もいる。まだまだ未熟ではあるが、私は、気づけて、誰かを守れるような、優しい人でいたい。

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