Day 9
スタートは1時からの遅め。昨晩が遅めの就寝だったため、翌日に引きずってしまった。ゆっくり起きたが、洗濯をして、スケッチをして、ブログを書きバタバタと動き回った。泣いても笑っても残り1週間となると、常に動いてしまう。外へと繰り出すと、近くのカフェでブランチをとることに。ここではじめて、クレープを注文した。パンやキッシュというフランス料理は体験したものの、クレープは未挑戦だった。相変わらず道路に面している席に座った。待っている間、イスや看板やメニューなど観察してしまう。人びとは普通にタバコを吸うし、朝から構わずワインやビールを飲んでいる。1人でも、親子でも、仕事仲間でも、同じ時間を過ごしている。前を見ていると、行き交う人たちだけでなく、道端でフルーツを売っている人たちもいる。動いたり、止まったり。
それから、周辺のまち歩きをしてみる。近くには、ブーランジェリーやカフェもたくさんあり、スーパーもそろっているため日常には困らない。ようやく、パリに来てはじめて大型本屋に立ち入れた。ゲーム売り場やApple製品も陳列されていたため、一目では本屋さんとはわからなかった。本屋さんに寄るとどうしても心踊ってしまうし、まだまだ新しい世界があることを知ってしまう。フランスのカートゥーンといえば、Bande dessinée。日本では見ることがないため、集中的に歩きまわる。子供もいればオタクっぽい人もいて、あくまで漫画コーナーであることを感じる。私のお目当てのValerianもあったが、本当は小説がほしい。どうやら、オリジナルの漫画しかなく今回は断念することになった。今でも、外国の本屋さんに住みたいと思う。
スーパーで水を購入したら一度ホテルに帰って、今日のメインイベントへ。パリ装飾芸術美術館に向かった。メトロを使うのだが、幸いにも今までに私はトラブルに遭ったことがない。良いことだけれども、ネットを調べるとやはりトラブルは存在する。このまちは「取られるから」と、現地の人にも注意をもらったことがある。残りの滞在も、安全にいきたいところだ。装飾美術館には、出発前にメールで取材依頼を試みた。しかし返信をもらっていないため、違った方法でフィールドワークをすることに。目的の展覧会は、《Japon-Japonismes Objets inspirés 1867–2018》だ。昨年の11月からはじまり、この3月まで続いていて長期にわたっている。装飾美術館はルーヴルにも近い。
パリの美術館は1つ1つが大きくて迫力がある。日本で例えるなら、それぞれ東京の国立博物館の同様の規模感をイメージしてもらえばいい。装飾美術館も、昔の西洋のままの建物である。しかも5つほどの展覧会が同時開催されているため、じぶんの希望を受付で伝えなければいけなかった。相変わらず荷物を預けて、展覧会の会場に向かう。
普通であれば、展覧会の会場だと入口がすぐにわかる。しかしなぜか、このジャポニスムの展覧会はドアで締め切られていた。恐る恐る入ってみると、なかは暗室であり、そこに日本の美術品が展示されていた。結論から言うと、このような展示方法はまったくはじめてみた。内容よりも、まずは<みせる>ことに重点が置かれ、工夫された見せ方だった。そのため1つ1つの作品が浮かびあがり、不思議とエキゾティックに見えてしまう。最初から、「見つけられた日本」の視点で語られている。今まで鎖国していた日本からはじまり、誰が発見して、蒐集して、パリでの万国博覧会が開かれたのか。説明よりも、ビジュアルを際立たせるために、暗室に白や赤の背景、動きを出すように設置される。<もの>をとおして、客の想像力を駆り立てながら、日本を語っている。<みせかた>が非常に上手く、感覚的に訴えかけてくる。また説明書が端のほうに設置されているため、何人もの人たちが積極的に読もうとしていたのが印象的だ。
この展覧会には、日本を語れる著名な作品揃えられているため、贅沢だと言えるかもしれない。一方で、まだこのような異国として<みられている>のかという気持ちにもなってしまった。1階、2階、3階と続き、規模もなかなかに大きな展覧会ではある。過去から、パリで活躍する日本のモードや技術につながっていく構成になっていて、Yoji YamamotoやRei Kawakuboをふくむ。いつまで「日本の美」が通用するのか、過去のものを提供し続けられるのか。はたまたこの現在から生まれていくものは何か。大きなイベントをすることで、たくさんの人を巻き込めると呼ぶ一方で、じつは限られた人のなかで終わってしまうこともある。それは矛盾していることなのかもしれない。国境をこえて、お互いの芸術を交換し、語り直して伝えていくことの意味とはいったい何だろう。
装飾美術館のグッズコーナーにいくと、装飾だからデザインに特化したラインナップが多かった。カバン、スカーフ、お皿など、日常使いができるようなものだ。奥にはファッションや料理などの本もたくさん揃えられていて、驚かされた。ここまでいくつかのパリの美術館へ足を運べたのが、入場料にしろ規模感にしろ、展示方法にしろ、日本よりも優れていると感じてしまう。
せっかくこの地区に来たので、Chanel本店を見に行ってみようと外に出た。ところが突然の雨で、おかげで濡れた。パリでのはじめての雨だった。なぜChanelに行きたかったのといえば、カール・ラガーフェルド追悼で少し違った雰囲気があると聞いていたからだ。マップを見ながら足を止めた本店の前には、白い花が並べられていた。パリの人たちの悲しみが、今この場に行き着いている。隣には新しくできる店舗があり、彼は見届けられなかった。また新しい世代がくると、時代は動きつつある。
突然の雨に帰路を急ぐと、偶然にもオペラ座の方へ。雨だから人は外にいないのだが、どこにいるかというと、地下鉄のなかだった。まあカオス状態であり、気を集中させて行きたい目的の方向へ急がせた。あの瞬間、いろんな人種の人たちと、三者三様の目的を持った人たちが、オペラの地下鉄の入口に集まっていたのだと思う。