「あるという証拠がないこと」と「ないという証拠があること」の違い

KENZO OKANO
ブラック・スワンを追い求めて
10 min readNov 18, 2017
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」
ナシーブ・ニコラスタレブ(Amazon.co.jpより引用。)

僕はナシーブ・ニコラレスタレブという人が大好きです。彼の言葉を書籍やブログを通して読んでいるととても勇気が出ます。時に辛辣だったり、嫌味だったりするけども、「実証的懐疑主義者」を自称する彼の主義・主張は、当然のことと世間で思われている事を疑う意味を教えてくれる気がします。

彼はもともとニューヨークのデリバティブのトレーダーとして活躍していました。日々株式のチャートという「不確実性」と戦う中で実証・検証しながら得たアイデアや考えを、その職を辞めたあとに認識論の研究者としてまとめて論文として発表しています。

彼は自らの論説を論文としてまとめるだけでなく、文筆家として書籍・ブログを通して発信している。(以下がその例であるが、論文と異なり、数式がすくなく、話し言葉で読者に話しかけるように書かれている。とても読みやすいのでオススメです。)

彼の最も著名かつ主要なアイデアの一つとして「ブラック・スワン」というものが存在しており、彼のコアとなっています。

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ブラック・スワンとは何か?

彼は上記で上げた書籍の中で、ブラック・スワンという単語を度々言及しており、本の題名にまでなっています。その言葉は、書籍中で「①予測できず②深刻な影響を与え③事後になって様々な「証拠」を元に講釈をたれて、予測可能だった」と定義しています。

もともとブラック・スワンは、「黒い白鳥はいない」という当たり前だと思われていた事実が、オーストラリアで黒い白鳥が見つかった後に、鳥類学者が衝撃を受けたと同時に、自らの考えを完全に変えたことをモチーフとして考案されたものです。

つまり統計や確率論、今までの知識や経験からではとても思いつかないような事象が登場して、その後の世界の見方を180度、劇的に変えてしまうということを指しています。

ただ、ブラック・スワンの中にも良い・悪いが存在しています。

日本の中での良いブラック・スワンとは、イチローや大谷翔平が例に挙げられる。

イチローは野茂英雄という偉大な投手がメジャーで先に大活躍していたが、体格で劣っている日本人がメジャーリーグで野手として活躍できるはずがないと渡米当時は言われていた。批判する彼らがよく言う言葉は「そんな選手過去に居たことがない」というものでした。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/29/gazo/G20150129009714100.htmlより引用

大谷翔平だってそうでした。彼はもともと高校時代に野手兼投手として活躍しており、日本のプロ野球でも継続して野手兼投手の「2刀流」として活躍することを希望しました。だけども世間、特に過去活躍していたプロ野球選手から「そんなこと出来るわけがない。実力が違う。」と散々批判された。彼らがその理由に上げたものもまた、「過去に事例がない」というものでした。

http://www.fighters.co.jp/news/detail/3273.html?wapr=50e8d965より引用

だが、イチローの渡米後の成績や大谷翔平のプロ野球の成績は、ここで改めて指摘するほどでも無いですね。

彼らはまさに、ナシーブニコラスタレブの言うブラック・スワンを体現しています。

多くの人は、過去にそのような事例がないことを証拠に批判をしていたが、彼らが自らの実力を証明した後は手のひらを返したように自らの考えを改めて、過去における予測可能性をのうのうと説きます。「まあ彼らの実力を考えれば、異次元でしたからね」と。

日本における悪いブラック・スワンの最たる例は、少しセンシティブだが福島原発事故だと思います。

東京電力の設計では、過去の事例・事象からサンプルが集められて、津波対策の壁が作られました。「これだけ高ければ、過去のどんな津波にも耐えられる」と。

ただ皆さんも御存知の通り、いまだかつてない程大きな未曾有の地震が起こっていましました。その地震により巻き起こった津波は、設計者の“予測”に反して、原子力発電所を守る壁を安々と超えていって、周囲で生活していた人々に甚大な損害を与えることになりました。

彼らもまた、過去にそのような事例がないことを証拠に、津波対策用の壁を設計して絶対に安全だと思ってしまいました。絶対に◯m級の津波は怒らないという物理的証拠が存在しないのにも関わらず・・・

「あるという証拠がないこと」と「ないという証拠があること」の違い

ナシーブ・ニコラスタレブの書籍の中で印象に残ったことは、まさに上で述べたことにあります。みな「あるという証拠がないこと」と「ないという証拠があること」を容易に取り違って理解してしまうということです。

とても似ている言葉ですが、全く意味するところは異なります。

野球の話や福島原発事故の話はで最も伝えたかったことは、「あるという証拠がないこと」と「ないという証拠があること」は全く異なるということです。決して過去に事例がないという事実だけで、「ないという証拠がある」と思ってはいけません。

僕も含めてみんな、簡単に「過去にそんな事例がない」と諦めて、いまだかつて無いことをやろうとする人を説教したり、批判します。あたかも自分が一番世の中のルール・仕組みを理解しており、「過去にそんな事例がない」ことに対して挑戦する人を諭すように。「そんなの出来る訳無いじゃん。そんな人いた??」と。

これから

僕に「子供を生むことができない」証拠や「19歳でその後世界の人々を繋げるSNSを作ることができなかった」証拠、つまり「ないという証拠があること」がいくつか存在するのは確かに間違いありません。

しかし、「世界中の人に使われるサービスを作ることができない」という証拠はまだありません。ただそれは絶対に「世界中の人に使われるサービスを作ることができる」という「あるという証拠がないこと」を意味して、「無いという証拠があること」を意味していません。

僕自身就活の時にも、あるベンチャー企業の採用担当の人に「みんなに使われるようなサービスの運営に携わりたい」と話している時に、「お前には向いていない。諦めろ」と直接面接の時に言われました。その人は恐らく僕が今まで何かサービスのリリースや運営をやってこなかったことを指して、「世界中の人に使われるサービスを作ることができる」という「あるという証拠がないこと」を感じて、面接中に「もう面接落とそうと思ってて、終わろうと思うんだけどいい?」と強い口調で言いました。

その時はなぜ初めて会ったような人にそんなことを言われないと行けないんだと怒りを感じるとともに、痛烈に劣等感を感じてしまいましたが、ナシーブ・ニコラスタレブの書籍を通して今となってわかりました。彼は、「あるという証拠がないこと」と「ないという証拠があること」を容易に取り違って理解してしまっていたんだと。

まだ僕が世界中の人に使われるようなサービスを作ることが出来ないという証拠はありません。

そして同時に、ここで自らの思いややりたいことを諦めて、言い訳をしながら人生を暮らすことをしてしまうと「無いという証拠があること」を自分から最終的に死ぬ時に振り返って見た時に、証明してしまいます。

そう感じた結果、0から人とお金とアイデアを集めて、2017年7月7日に株式会社アポロを登記して、「新たな繋がりを創出する」というミッションを達成することを目指すことにしました。

まだまだ未熟ですが、その過程で世界の人に使われるようなサービスを作って、より多くの人の幸せにつながればなと思います。

ボトログ

まず第一歩として、「お目当てのチャットボットがすぐに見つかる」ボトログというチャットボットのレビューサービス(https://botolog.com)をリリースしました。

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どんどん有益なチャットボットがあぶり出されればいいなと思い、このサービスを企画・開発・リリースしました。

ぜひ感想などフィードバックいただければと思います。

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