潮騒を聞きながら(2)

Michino Hirukawa
にじだより
Published in
6 min readMay 31, 2019

4月から
片瀬江ノ島周辺でフィールドワークをはじめた。ここは、東京オリンピック・パラリンピックのセーリング競技の開催が予定されている。2020年に向けて、今年2019年は<準備>としてさまざまな変化を目撃できるはずだ。駅、メニュー、商店街、看板。世界各国から多様な目的をもった人びとを迎え、日本が東京オリンピック・パラリンピックを通して変わっていく。まちの変化に伴って、ふつうの暮らしのなかでは不都合が起きているかもしれない。そこで、「異文化理解」における「他者への想像力」を探求したい想いで研究をはじめた。

4月は2回のフィールドワークを実施した。現在まで3年以上通う大学が藤沢市にあるため、このまちは私の日常の一部でもある。研究フィールドへアクセスの良さはあるが、調査者であることを自覚をしなければならない。「異人」となり、片瀬江ノ島周辺を捉え直していく。

さっそく歩いていると、片瀬江ノ島は多様な人びとが集まる場所だと認識した。国籍を問わない観光客、マリンスポーツを楽しむ人びと、湘南のヤンキーらしき人びと。行き交う人びとは、今後も流動的かもしれない。そして、東京オリンピック・パラリンピックに向けた兆しが徐々にあらわれている。いたるところで施設整備はすすみ、工事現場の存在は強い。商店街にあるメニューには“I have the vegetarian menu”と書かれていたり、夏までの工事中の看板が立てられていたり。しかし、この現象はいつ起こったのか、今だからこそ記録できるものなのか、定期的に通うなかでの判断は難しい。時間のなかで、細かく観察・考察しなければならない。

4月のフィールドワークより

「変化」をキーワードにフィールドワークする一方で、東京オリンピック・パラリンピックに巻き込まれないのでは、と予想できそうな場所も発見できた。例えば江の島すばな通りには、注意しなければ見過ごしてしまうような旅館や写真館がある。また賑やな通りから一筋離れ、湘南モノレール「湘南江の島駅」へ向かうと、年季の入ったクリーニング店と布団屋が道路沿いに面している。これらは東京オリンピック・パラリンピックの「祭り」からは外れてしまうのか、という考えがよぎる。すなわち、調査者である私自身がまちで起こりえそうな変化を「想像しながら」歩いていた。

さらに5月のフィールドワークでは、前回からの変化に気づくことになった。まず玄関口の片瀬江ノ島駅では、工事現場が移動していた。弁天橋でも工事で立ち入り禁止の箇所が増えていて、以前ここで絵描きをしていた人はもういない。細かな部分へ注目していくと、道路の溝が新しく舗装され、綺麗な道へと生まれ変わっていた。たった1ヶ月、されど1ヶ月。フィールドワークをはじめて早々、時間の流れを意識することになった。

片瀬江ノ島1ヶ月の変化

問題意識に立返る
4月から片瀬江ノ島でフィールドワークをはじめたが、ここで立ち止まってしまう。というのも、卒プロへ没入している感じがないのが本音だった。今いちど、私自身の問題意識に立返った。

じつは卒プロを取り組むにあたり、当初は「ミュージアム」と呼ばれる現場に注目していた。私自身、展覧会へ足を運ぶのが好きで、学芸員課程を履修している。とある<モノ・コト>を対象の相手に伝えるために、どのような表現工夫されているのか。ビジュアルの追加、言葉の書き換え、科学技術の恩恵など、適切な表現方法を選ばないと展覧会のメッセージは伝わらず、その空間は生きてこない。世の中でキュレーターと呼ばれる人たちに密着しながらのフィールドワークを考えていた。その矢先、3月にフランスのパリでフィールドワークを実施した。以前からフランス語を学んでいて、日仏交流160周年記念「ジャポニスム2018」をフィールドに現地で調査をした。日仏の文化的背景を乗り越えながら、日本の文化芸術がフランス人へどのような形で伝えられているかをテーマとした。

次なるフィールドに選んだのは、東京オリンピック・パラリンピック。しかしながら、フィールドワークを勤しめていない現状に直面している。フィールドを決断できないことは、問題意識の言葉不足を示唆している。これまで選ばれたフィールドは、「文化という名のイベント装置」である共通点が浮かびあがる。たしかに東京オリンピック・パラリンピックの大会ビジョンには、「多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ契機となるような大会」と掲げられる。けれどもナショナリズムを彷彿とさせるイベント装置は、閉鎖的にしか人びとを巻き込めていない側面がある。例えばジャポニスム2018を調査したとき、会場となるパリの美術館や文化センターには、比較的年齢層の高い人びとを観察することができた。歴史的に西洋へ持ち込まれ、日本の文化芸術を嗜めることがステータス化されている。つまり、創られた文化や芸術というものへのアクセスについての問題が見えてくる。

まだまだ、テーマを整理していく必要がある。根底にあり続ける核となるものから、問い直していかなければならない。過去の調査や関心を手がかりに、現在のフィールドワークを再検証していくことが次の段階。と言いつつも、私はむしろプロジェクトのはじまりを感じている。

◎参照ウェブ
「大会ビジョン」TOYO2020
https://tokyo2020.org/jp/games/vision/

これは、慶應義塾大学 加藤文俊研究室学部4年生の「卒業プロジェクト」の成果報告です(2019年6月1日時点)。 最終成果は、2020年2月に開かれる「フィールドワーク展XVI」に展示されます。

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