ビューイング — WS2B 57期 12回目後編

歴史から知る「その時、求められている」写真と今

OKUMURA Takahiro
ワークショップ2B学修記
4 min readJan 31, 2018

--

ワークショップ2B 57期 (7/22–10/21) は写真家・渡部さとるさん主宰の写真ワークショップ。第12回はビューイング。

前編はアート写真におけるプリントと流通を中心に書いた。後編はアート写真史から写真の変遷を見る。

ここ100年の写真

不思議なことに、アート写真の変遷はだいたい20年ごとに大きな節目を見ることになるそうだ。この間隔は現代まで続く。

1910年ごろ、アルフレッド・スティーグリッツが絵画の真似事(ピクトリアリズムと言うらしい)として撮影したいたスタイルからストレートに写すスタイルに転向し、「写真は写真だ」と絵画との違いを模索していったという。もともとはピクトリアリズムを先導していたスティーグリッツの転向が後世の写真家に与えた影響は大きく、近代写真の父と呼ばれる所以となっているようだ。

1930年ごろ、人物でいえば『決定的瞬間』のアンリ・カルティエ=ブレッソンや『崩れ落ちる兵士』のロバート・キャパの活躍があげられるが、なによりも35mm判の祖であるライカ(ウル・ライカ)が誕生した時代でもある。高い携帯性を誇るライカの登場により、印刷は容易になり、写真で何かを伝えようとするフォトジャーナリズムは活性化していった。

1950年ごろ、トランプ大統領の発言で話題になった “Make America Great Again” で言及されている「グレートアメリカ」とはこの時代を指すらしい。ロバート・フランク『THE AMERICANS』やウィリアム・クライン『NEW YORK』など、この時代において写真の中心はヨーロッパからアメリカへ移っていく。当時のアメリカにおける黒人差別の風潮、白人とのあいだの歪を色濃く反映した写真も多いとか(『THE AMERICANS』を少し読んだ程度なので伝聞調でしか書けないが…)。

1970年ごろ、(既に実用化はされていた)カラーフィルムの時代が訪れる。世界で初めてカラー写真による個展を開催したウィリアム・エグルストンは、アートとしての写真がモノクロばかりである状況を覆したニューカラー派の代表格だろう。またこの時代、ベトナム戦争の終結や公民権運動の沈静化などの影響か、写真にも変化が起きたという。先生いわく「『しらけ』の世代」とのことで、これまでの肉薄した表現から一歩距離を引いたような写真が多いそうだ。これに伴ってなのか、写真は「決定的瞬間」から「日常生活」へとかじを切っていく。Facebook や Instagram によって日常を撮ることが当たり前になった今の時代からすると、この時代が「元祖」なのかもしれない。

1990年ごろ、2Bで何度も言及されている現代アートと写真が結びついていく時代だ。ベッヒャーやシンディ・シャーマン、アンドレアス・グルスキーが活躍した(している)時代である。ベッヒャーやグルスキーの類型化による主観を廃した写真表現や、シンディ・シャーマンによる記号的表現など、この頃の写真はとてもシステマチックに感じる。

今、どんな写真が求められているのか

1910年ごろから20年刻みで1990年までやってきた。そして2010年ごろ、まさに今である。この時代の節目とも言うべき存在は、おそらくインターネットだろうと聞いた。ウェブにあふれる多量の写真は、世界人口の推移を見るかのように爆発的に増えたことだろう。

近ごろの写真展では平面の壁に並べるだけでは飽き足らず、立体的に配置するなど、写真の配置によって「動き」を演出するなど試行錯誤がなされている。

(コンテスト名も賞名も忘れてしまったのだけど)とある2015年のコンテストで同時受賞したものが、ワインの色を抽出しただけの現代アート的な写真と、生まれた場所をモノクロで撮影したクラシカルな写真だったらしい。

つまり、2015年の時点ではそういった現代アートとクラシックのどちらにも価値を認めているし、あるいはそれを決めきれずにいるのかもしれない。どう解釈すればいいのかは分からないが、対極的な二作品に賞を与えるというのは、多様化し相反していく価値観にどう向き合うべきかを問われているのかもしれないと思った。

--

--